フミコの日常・泡のような日々

クローン病をもつ社会人のブログです。健康のこと、仕事のこと、家庭のこと、キャリアのこと、なんでも思ったことを書いてます。

8/10 時間の遅延化

手術からちょうど1週間経った。どうも、病院にいるといつもより頭がぼーっとするようだ。いまこうして文章を打っている間も、僕の体は船酔いのようにゆるやかな揺れを感じているし、僕の目は文章をとらえていながらも、ややすべって捉えている。そして、頭は半分麻酔で麻痺したかのように、覆いを被せられた状態で物事を認識しているようだ。

入院中はとても暇だ。暇な時間、フェルナン・ブローデルの『地中海』を読んでいる。いまは第1巻の1章~3章までをどうにか読み終えたところだ。いや、読み終えたというのは感覚的にずれてしまう。1章~3章までのすべての行にどうにか目を通した、というのが正しい。1章は山地、高原、平野の生活と遊牧民について。2章は海、沿岸地帯、島の生活について。3章はサハラ砂漠の生活、ヨーロッパと地中海との主に貿易上の関係、そして大西洋と地中海の関係である。続く4章は気候と季節の話。5章は人間の単位たる交通路、都市の話である。

1章~4章は地中海の地理的記述が多く、ほとんどがこれまでの研究成果の積み重ねの要約である。それでいて、記述は徹底的に具体的な逸話が占める。読んでいて面白いのだが、情報量が多すぎて、とても全体像をとらえきることができない。くわえて、ヨーロッパの地名に詳しくないため、地理間隔がわからないまま読んでしまっている箇所も多い。

3章までを読み終えて、いま感じていることは、時間間隔の遅延化、とでも名付けることができるものだ。ふだん僕たちは、めまぐるしい日常を送っている。入院中でさえ、1日という時間の流れに支配されている。ましてや、外で働いているあいだは、きらめくような資本と労働の要求によって、僕の頭は瞬間的で断片的な思考に分断されており、気が休まるときがない。もともと、あまりおおらかにものを考えられるほうではないのに、先へ先へとせかされてしまっている。

だがどうだろう。この本が全体としてあらわしているものは、そのような1日単位であったり1業務単位であったりする時間の流れではない。もっとも移ろいの遅い地理的な時間の流れについてである。これを読むとき、僕は知らず知らずのうちに、幾度となく繰り返され、ゆったりと移ろい変わってきた地中海の時の変わり方に触れている。僕は日常を離れ、より長い時間の流れのなかに精神を置いている。より長い流れ。僕がそのなかに完全に身を置きたいと思いながら叶わない時空間。