フミコの日常・泡のような日々

クローン病をもつ社会人のブログです。健康のこと、仕事のこと、家庭のこと、キャリアのこと、なんでも思ったことを書いてます。

4/23 1歩目の帰無仮説、2つの具体的な行動

今日は家で悩んでいた。前回の考えは話が大きすぎて論じるのが難しい。前々回は修論の論点が2つあるという話をして、後者の「高齢出所者の社会復帰とは、社会学的にいかなる状態か?」を考えるといった。しかし、この問いかけのままだととりとめがなさすぎて、考えの手がかりをつかむのが難しい(博識な理論家なら可能かもしれないが・・・)。この大きすぎる問いを、手頃な大きさの問いに置き換える必要がある。AであるかBであるか、明白な白黒のつく仮説を実証すること、そして実証結果の原因を考えることを通じて、社会復帰が何を意味するのかを知ることができるのではないか。

いま、ひとつ考えたものはこうだ。前回、「刑務所出所者の社会復帰を、入院患者の社会復帰や休職者の社会復帰と同様のものとして捉えていいだろうか?」と問うてみた。(僕個人の感覚では、違うもののような気がする。)思考の手がかりとして、「刑務所出所者の社会復帰は、入院患者の社会復帰や休職者の社会復帰と同様のものである」という命題を掲げてみる。いわば帰無仮説である。ここから2つの方向性が生まれる。

1つ目は、上記命題から導き出される観察可能な含意として、「刑務所出所者、入院患者、休職者の社会復帰率は同じ値である」ということを証明する。(まずは「社会復帰率」なるものを計算しなければならないが・・・)

2つ目は、刑務所出所者、入院患者、休職者の社会復帰に影響する要因のステマティックレビューを漁ることにより、いかなる要因があるのかを一覧にする。

これら2つの方針は迂遠で荒唐無稽なアプローチかもしれないが、1時間前の僕のように、不毛な苦しみのなかで瞼を閉じてしまうよりは生産的で、なにより精神的に健全だろう。精神が健全でなければ続けられないものだ。明日は、上記を具体的な行動に落とし込んでみることにする。

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観察可能な含意は、G.キング・R.O.コヘイン・S.ヴァーバによる『社会科学のリサーチデザイン』(勁草書房)の日本語訳者によれば、「その仮説が正しければ当然に生じるであろう事象」(同書11頁)とある。調査者は、「間違う可能性のある(反証可能な)理論を選択し、」それを確かめるために「できるだけ多くの観察可能な含意」を作って検証しなければならない(同書22頁)。

 

ステマティックレビューとは西内啓の『統計学が最強の学問である(ビジネス編)』(ダイヤモンド社)によれば、一定の条件で該当する論文全てを収集整理し、研究対象にかかわるどのような種類の要因が、どのような分析の結果、影響をもつとされたのかを一覧にしたような論文のことである(同書62~63頁)。