フミコの日常・泡のような日々

クローン病をもつ社会人のブログです。健康のこと、仕事のこと、家庭のこと、キャリアのこと、なんでも思ったことを書いてます。

3/4 ふたりのこと

ツレがうつになりまして。」という映画を観た。そこで、僕と妻のことについていろいろ感じたことがあったので、書いてみたい。

 

映画の中で主人公の夫婦は売れない漫画家とさえないサラリーマンで、どちらも社会不適合者っぽいのだが、そんな二人が不器用なりになんとか支えあって生きていく。僕と妻も似たようなもので、僕のほうはもともとの病気に加えて、頑固だったり人付き合いが雑だったり、オンオフの切り替えが下手だったりで、まあまあ社会不適合だし、妻も少し変わったところがある。そんな僕ら二人はお互いを必要としていて、支え合いながらなんとか毎日を乗り越えていっているのだ。

 

二人でこういう種類の映画を観たのは、「リリーのすべて」ぶりだなと思った。この映画は完成度が高く、また解釈の仕方も様々あると思うのだが、僕と妻は「変わったところがある夫と、一緒にいる妻のパートナーとしてのありかた」という視点から映画を観た。これは、前述の映画とも共通しているのだが、「繊細で神経質なところがあり、ある部分でむきだしの弱さを持つ男(夫)」というキャラクターと、「その男に翻弄されながらも強く支えようとする女(妻)」というキャラクターの行動、会話、心理の描写が描かれることが特徴である。このように観てしまうのは、(最近はそうでもないにしろ)僕たち夫婦の自己認識に近いものを感じるからだ。

 

僕たち夫婦は大学院で出会ったが、その出会いや過ごし方は自立した二人の男女の関係というよりも、互いに不完全な部分をもつ男女が共に身を寄せ合う関係、と言うほうが近かった。どちらかが弱くなったときはもう一方が励ましたり助けたりして、一緒に小さな成長を共有しながら、一歩一歩なんとか生き延びた。このような日々の積み重ねだったと想起するので、たとえば前者の映画の中で、妻がよく夫のそばでごろ寝する姿を観て、ああ、自分たちにそっくりだな、と思うのだ。その姿は男女のロマンチックなふれあいというよりも、仲のいいきょうだいがじゃれあうふれあいに近く、不完全な二人が身を寄せ合う図としてリアリティがあるのである。

 

僕はとくに、仕事のことに夢中になるとそればっかり考えたくなってしまうし、普段お互いがなんとなく元気に過ごしているとついつい忘れてしまうのだが、そういうお互いのかけがえのなさ、弱さを補い合って生きていることを思い出すと、この人がいればそれだけでいいなあと思えたりもする。できれば、そんなときは日当たりのいい部屋で、相手の存在に感謝しながら、ただゆったりとした時間をかみしめていたい。