フミコの日常・泡のような日々

クローン病をもつ社会人のブログです。健康のこと、仕事のこと、家庭のこと、キャリアのこと、なんでも思ったことを書いてます。

2/5 呪縛からの解放

今日は仕事が満足にできなくて、妻に「どうしよう~~~」と泣きついた。不安や恐れは未来の脅威に対する感情である。今回の僕の未来の脅威とは、仕事についていけないであったり、仕事ができない人だと思われることであったり、漠然と想像してしまう未来に対する恐怖のことであった。妻は、「まだ入社1ヶ月なわけだからそんな高い水準を期待されてるわけじゃないでしょう。今はまず人間関係を築くことを心がけたら?」と答えてくれた。人間関係か・・・。人間関係を焦点にしなくなって久しい。それはたぶん大学5年生か大学院の頃から、社会人2年目の今に至るまで続いている。僕自身が、あまりに他人の顔色を窺って生きてしまっていると思い、意識的に自分のことだけに注目し始めた。と、今までは思っていた。だが、本当にそうだったのだろうか。確かに、ほかの人々に対して時間をとらなくなり、自分一人の時間を過ごすようになった。時間の使い方は変わった。しかし、自分の心は全然豊かになった気がしないのだ。よく考えてみれば、他人の顔色を窺うにしろ、自分のことだけに注目するにしろ、前者は(自分の心の中に描いた)他者という絶対基準があり、後者は理想の自分という絶対基準があったのだった。基準の対象が変わっただけで、自分に対する「絶対」によって自分自身を縛り付けるあり方はずっと変わっていなかったのかもしれない。そう考えると、久しぶりに人間関係に焦点を当てることも悪くないように思えた。利他的であれ、という自分に課していた絶対基準をやめることができた。そして、今僕は利己的であれ、という自分に課している絶対基準からも解放されようとしている。心を縛らず、他者のために時間を使うということを義務ではなく喜びとして考えられる心の余裕を持ち、どちらを選ぶにしろそんな自分を許すことができるようになる。もっとおおらかに、ゆったりとした気持ちで人生に相対することができる。人を愛し、人に愛されるための種を蒔く。人間は、蒔いていない種を収穫することはできない。職場に限っても、僕一人が毎日汲汲とした気持ちで努力したところで得られる成果はわずかしかない。むしろ、職場の人々と長期的で親密な関係を築く種を蒔いたほうが、継続的に得られるものも大きい。かつて、自分を守るための信念だと思い込んでいたものが、自分に対する呪いであったのだと知る。確かに僕はこの呪いの力を借りて、望むものを手に入れようとした。そして、それだけでは不十分なのだと気づいた。今は幸せをも手に入れようとしている。幸せとは、思いやりと愛、関係に類するものである。僕がこれまで重視していた習慣と規律、そして呪いとは異なる次元にあるものだ。なにより、僕は呪いが強すぎて、自らが求めていたものからかえって離れる結果となっていたこともあるだろう。今この瞬間、僕は安息を得ている。不思議だ。これほどまでに、感覚の断絶が生まれるものとは。これからの数年間は、これまでの5年間とは全く異なる時間となるだろう。豊かな人生の時期にしよう。