フミコの日常・泡のような日々

クローン病をもつ社会人のブログです。健康のこと、仕事のこと、家庭のこと、キャリアのこと、なんでも思ったことを書いてます。

1/29 今朝の考えごと

新生活ももう1か月目になろうとしている。新しいものが持つきらびやかさはやがて色褪せてきて、あるいは日常の形に移ろって現れてきている。昨日妻に言われたことは、「最初から気合を入れすぎると長続きしないから、新しい職場でもあまり肩に力を入れすぎるな」ということだった。1年前の今日の手帳を振り返ると、前職の仕事を僕は楽しんでいたらしい。その3か月後から辛くなってしまったのだが。所属する組織に対して過剰に信頼感と忠誠心を持ち、適応しようとしすぎてしまうらしい。高い期待を持ち続けるのも、そんな自分で居続けることも、エネルギーのいることだから、いつか無理が出てしまう。

 

それでも、僕は昔よりは柔軟になった。自分や世の中に対して、こうであるべきだという正しさを押し付けなくなった。だから生きることが容易になった。同時に、良くも悪くも受け入れてしまえるようになった。それによって精神が安定したかわりに、強い問題意識を持てなくなったみたいだ。大学時代、大きな精神的ストレスを抱えつつも、強い問題意識を持っていた。危なっかしくてバカバカしい鋭さを持っていた。

 

だけど今は、平凡な人間になってしまった。高い志もなく、自らの生活に汲汲とするだけの毎日を繰り返しているような気がする。たまに、そのことに危機感をもつ。あまりに利己的でありはしないか。もう少し利他的で、視点の高い立場から何かをしなければならないのではないか。だが、それは体面や自己満足を満たすために自ら必要としているだけなのではないか。それでは結局、続かないのではないか。寄せては返す波のように、相反するひらめきが浮かんでは消えていく。

 

判断に困ったときは、今まで選んだことのない方を選ぶことにしよう。ならば、無理に低空飛行を続けるよりは、もっと潜ってしまおう、埋もれてしまおう、働く自分に対する「こうでなければならない」も、生きる自分に対する「こうでなければならない」も、すべて捨て去って。いっそやりたいことだけやってみたまえ。無理に高尚な目的や向上の目的に行為を結びつけなくてもいい。志高くあらねばとすることは、目線の高さや、行動の広さを押し広げるために有用であったが、自分の中の声に耳を閉ざすことにもつながってしまった。より徹底的に、自分のための人生を生きてみよう。

 

それでも、朝起きた時の頭の感覚が、もっと昔に戻っているなあと思う時がある。高校時代や浪人時代、あるいは大学入学当初のような、余計な感情の歯軋りなく生に入り込めるような頭の状態だ。最近寒い日が続いているからなのか、よく眠れているからなのかわからないが、きっといいことだ。