クローン病持ちのデータ分析系サラリーマン・フミコの日常

クローン病をもつ社会人のブログです。健康のこと、仕事のこと、家庭のこと、キャリアのこと、なんでも思ったことを書いてます。

1/2 1年前の記事について

1年前にこんな記事を書いた。

 

fumiacrohn.hatenablog.com

 

この中で僕は以下のように述べた。

私の弟2人は高卒で働いている。私は大学を出る方が人生の選択肢が広がると考えている。では、弟2人の人生は大学を出なかった時点で失敗なのか。私は今後一生、弟の人生の喜ばしいことを心から喜んであげられないのか。

この問いに対する、現時点からの回答を書いてみたい。その前に、僕を取り巻く環境の変化を2点挙げよう。

 

第一に、僕は証券会社の、事業承継をアドバイスする部署に1年半勤めた。そこで知ったことは、顧客の大半が個人富裕層であること、個人富裕層はたいてい中小企業経営者であること、稼げる中小企業経営者はキャッシュを貯め込んでおり、どのくらいリッチかというと「付き合い」や「お礼」の名目で手元の10億~100億規模のお金を金融商品につぎこめるほどであること、などだった。サラリーマンって本当にみみっちい生き方なんだな、と実感した。

 

第二に、弟は2人とも良縁に恵まれた。三男の結婚相手は、東北のとある県庁所在地で4社ほど会社を経営している方の娘である。結婚相手の父親は市内商工会の会頭を担っており、地元の名士として慕われている。そんな家に後継者兼婿養子的ポジションで嫁ぐことができた。次男がお付き合いしている相手は経営規模の大きい農家の一人娘であり、うまくいけば農家になるのかもしれない。まさかこうなるとは家族の誰も予想がつかなかった。とくに高校卒業以来フラフラして定職に就かなかった三男については、周りが期待していた以上の人生を歩んでいる。もちろん、東北の会社も、農家も、厳しい外部環境にあることは間違いないが、同時に大きく成功する機会も広く残されている。

 

僕自身の先入観の狭さについて、言い訳をしておきたい。サラリーマンより非上場会社の経営者の方が儲かる可能性があると知らなかったことについて。僕の母校の出身者であれば、中堅企業経営者の親族を持つ人もいるだろうから、「なにをいまさら」と思うかもしれない。だが、僕の生まれ故郷は限界集落で、公務員(地方自治体職員や警察官、あるいは自衛隊)になることが一番の安泰であり、両親二人は高卒の勤め人であるから、自営業=貧乏と考えて生きてきた。どれだけの規模の大企業でサラリーマンになれるかどうかが所得の程度を決定する、と転職前の会社で働くまで思い込んできた。関連して、高卒であることよりも大卒であることのほうがキャリアを進めていくうえで有利だと思い込んでいた。僕は弟2人については、高度成長期の人生モデルを前提に人生うまくいってるかそうでないかを判断していた。これは「都会に出てきた田舎者」である僕の性であっただろう。

 

以上をふまえて、「弟2人の人生は大学を出なかった時点で失敗なのか。私は今後一生、弟の人生の喜ばしいことを心から喜んであげられないのか」について1年後のいま回答しよう。

 

答えは、「人生わかんねえもんだな」だ。

 

学歴が高いほうが平均所得が高いとか、そういうマクロな趨勢はいくらでもあるだろう、けどマクロな趨勢とミクロな個人の人生の振れ幅は同一じゃない。何がうまくいっててそうでないのかは、きっと死ぬときまでわからない。

一番高い学歴で一番名の知れた企業に入ったあとに、精神疾患になったり過労自殺したりすることもある。その時点で人生パアだ。その人間は平均所得を示す統計上に二度と現れることはない。その人間が苦しんでいる日々のストレスという定性情報を、マクロな社会統計は決して捉えることができない。

もちろん、このような限界を承知のうえでプロパー社会科学者は、合意可能な妥当性を基準に社会の姿をとらえようとしているのだろう。それはそれで学問の一つのありかたとして尊重されるべきものだと思う。だが、僕個人の態度として、目の前の一人の人間の可能性を過小評価することは、傲慢であり望ましくないことなのだ、といま感じている。単に頭で理解しているのではなく、具体的な事例をもとに実感として存在を認めている。

 

この点について、視野が広がった1年だった。