東北生まれの冷え性金融マン・フミコの日常

クローン病をもつ新社会人のブログです。健康のこと、仕事のこと、家庭のこと、キャリアのこと、なんでも思ったことを書いてます。

5/8 眠れないゴムボール

今日は帰宅してすぐ寝たのだが、そんな日に限って深夜に目が覚めてしまう。そして、それは物思いにふける絶好の機会になってしまうのだ。

 

ふと思った。今この瞬間は「生きたい」と「しにたい」がちょうど半々くらいで、いいバランスを保っているな、と。

 

「死にたい」ではなく「しにたい」、あるいは「しにたみ」とは、とめどない上方比較(自分より優れた人と自分とを比較することで自分の地位を測ること)にしろ、絶対的に思える世の中のさだめに対して絶望することにしろ、その瞬間瞬間で切り取られた範囲の「セカイ」を自分の喉元に突きつけることで生まれる感情なのだと思う。

 

ああ、でも、自分は生きていてもいいんだ。あなたも生きていていいのだ。

 

高い自尊心や自己肯定感を持ったまま、現在の自分の水準を否定して向上心を持つことはできるのだ。

 

志を持とうと思って、気持ちや考え方が硬直してしまうと、かえって脆くなってしまう。

人当たり良く、人に好かれるために生きようとすると、自分の感性を殺して、義理と人情に流されるままどこにたどり着くというのか。

夏目漱石の『草枕』の一節のようだ。

 

前者は高校時代までの私で、後者は大学時代の私だ。

どちらもうまくいかない。どうしたらいいのだろうと生き方を模索していた。

気付いた。ゴムボールになればいいのだ。

 

スーパーボールは弾力性があるので、位置エネルギーを飛び跳ねる力に変えることができる。高出力のエンジンとまではいかないが、その跳ね方は力強い。そして、柔軟性があるので、脆く壊れてしまうということがない。柔軟性があるといっても、加えられた力をただ受け続けるのではなく、その内部にある弾力性が働くことで、力を加えられた状況から抜け出すことも、打ち破ることもできる。

 

「しにたい」と「ああ、生きててもいんだ」が両立することは、ゴムボールのように生きることだ。「しにたい」と、心が土に打ち据えられる。ベッドにへばりつかざるをえない。ざらにあることだ。横になったらすぐに「ああ、でも、生きててもいいんだ」と考えられるようになる。そうしたら、また飛び跳ねることができる。起き上がれる。

 

その時々の自分のパフォーマンスで自分の価値を測ることもやめよう。ここで言うパフォーマンスとは、知識の有無であったり、精神的・身体的に完璧に取り組めることであったり、成果そのものであったりする。私のパフォーマンスはだいたい自分の理想よりも低いので、いつでも落ち込む。けど、パフォーマンスを判断の基準と感情の起点にするのはやめよう。むしろ、自分の弾力性を、価値を測る基準にしよう。

 

その瞬間瞬間のパフォーマンスはブレがありすぎて、いつだって気持ちが振り回されてしまう。でも、弾力性なら永続的に自信の源となる。ああ、そうか、向上心とは日々のパフォーマンス水準の継続性のことではなく、心の弾力性のことを言うのだ。

 

何度でも飛び跳ねる。楽しむ。ゴムボールのように生きる。