東北生まれの冷え性金融マン・フミコの日常

クローン病をもつ社会人のブログです。健康のこと、仕事のこと、家庭のこと、キャリアのこと、なんでも思ったことを書いてます。

3/12 人付き合いのルール変更について

先日まーちゃん(妻)の親友とその彼氏と会った時に、今度会って話したいねという話をした。その後、お互いに連絡を取ることがなかったが、思い立って連絡をしたいとまーちゃん(妻)に伝えた。まーちゃん(妻)は私のLINEアカウントを、親友を通して彼に伝えた。その後音沙汰がなかったので、私がまーちゃん(妻)を通じて親友から彼のLINEアカウントを聞いた。彼にLINEで連絡し、「今度会おう!」「是非!」というところまでは良かったが、私が都合のいい日時を伝えた後に、また音沙汰がなくなった。しばらくして(今日)、彼から「遅くなってごめん、いついつはどう?」と返信がきた。

 

それに対して私が返信をしようとしたところ、まーちゃん(妻)が「ちょっと待ちな、」と静止した。まーちゃん(妻)いわく、

・私は傷付きやすい人間なので、余計なことで傷付く機会を作って欲しくない。

・こんなに遅く返信してきたということは、その程度にしか見られていない証拠。これで普通に返信すれば、「この程度の扱いでいいんだ」と見くびられてしまう。

・相手は23歳。自分にとって何が大事かまだわかっていないのだろう。そんな人に会うだけの価値があるだろうか。

・彼からしてみれば、私は彼女の親友の旦那であり、その私を軽く扱うことが、まーちゃん(妻)と親友の関係にひびを入れることは考えたらわかるはず。それにもかかわらずこんな扱いをするのは普通の人間としての常識もない可能性がある。

・私にとって彼と会うことはどれほどの価値があるのか?連絡を取った時には会うだけの価値があると考えることもできたが、もはやその価値はほとんどなくなってしまっているのではないか。

 

・なにより、嫌なことは嫌なこと、喜ばしいことは喜ばしいことと、その都度相手に感情を表明しなければ、溜め込む自分にもストレスが溜まるし、相手が学習して二度も三度も同じことを繰り返される。自分の感情をしっかりと相手に伝えておいたほうがいい。

 

これらのことを教えられた。

確かに、私はどんなに時間を共にすることが無意味だと思っている相手でも、その場ではひたすら耐えて我慢する習慣がある。今回も、まーちゃん(妻)に言われなければ気付かなかった。私がこのような習慣を持っているのはたぶん、その都度相手からレスポンスをもらった時に、①なるべく相手に非を認めて責めるのではなく、むしろ自分自身に落ち度がなかったかを反省し、②都度の相手の失敗に基づいて評価を下げるのではなく、なるべく相手を信じて評価を維持する、というやり方をしてきたからだと思う。

このような生き方をし続けることは、私自身の精神にかなり重いストレスをかけ続けてきたのだろう。

 

だが、どうやら私はもういい人であるのをやめたわけだから、自分より人間性に劣る人間に対して、懇切丁寧に相手をする必要はないのだ。これまでは、品位が低いからこそ簡単に、私のことを格下だと思うことができた人々に、最高の配慮を提供し続ける必要はない。私はもう聖人並の態度を自分自身に課す必要はない。普通の人間として生きていいのだ。人間としての水準を人並みに戻すことを、これまではなるべく避けて生きてきたが、それによって私自身が毒され、損なわれてきた事実に対して、私は自己を救済してもいいのだ。

 

改めて、私が私の中に取り入れる他者の言葉や付き合いは、愛の感じられる言葉や付き合いであるなら受け入れ、エゴイズムの発露に過ぎないものであるなら拒絶し、断絶する。このルールを再確認する。加えて、その都度の私自身の感情を素直に表明することを私自身に許可する、というルールも付け加えよう。

 

これによって、私は全てを受け入れ、全てを背負う人間で居続けるのを辞めて、私を必要としてくれ、私自身もまた必要とする相手とだけ付き合うことができる。相手にしてくれる人間なら誰でもいい、という相手は私の人生から消え去っていく。私だからこそ会いたいと言ってくれる人間と、私が会いたいと思う人間との関係性のネットワークを新たに築き上げ、私にしか生きられない人生を過ごしている時間を増やしていく。

「私にしか過ごせない時間や関係」こそが、人生の中で最も価値の高い“生”であり、この時間や関係を実現できないということこそが、不幸であり、迷惑であり、無意味なのだと思う。これ以外の「不幸」や「迷惑」は一段レベルの低いものだ。

 

このことを再確認できただけでも、まーちゃん(妻)の親友の彼氏の存在に感謝したい。ありがとう、そしてさようなら。