東北生まれの冷え性金融マン・フミコの日常

クローン病をもつ新社会人のブログです。健康のこと、仕事のこと、家庭のこと、キャリアのこと、なんでも思ったことを書いてます。

3/9 確信に満ちた希望

今日はまーちゃん(妻)と、妻の弟君と一緒に外食をしてきた。弟君は大学3年生、私大の体育会系の部活に入っている。南国風の、おおらかで他人想いの性格の人だ。彼も例に漏れず就活の時期で、志望業界をほとんど一つに絞って業界研究している。あと3ヶ月で面接解禁、つまり実質的にあと3ヶ月で就活は決まりだ。

 

彼は志望業界に対する明るい希望と、厳しいところで働きたくないという普通の本音と、会社に入って留学に行けたら格好いいよねという素朴な野心とを語っていた。その希望が眩くて、「転職しやすいかどうかという観点からも見てみたら?」という、ほとんど意味のないアドバイスを口にしてから言わなきゃよかったかもな、と思うほどだった。

 

ひさびさに、大学生の頃の気持ちを思い出した。あの頃は、自分はなんにでもなれるという根拠のない夢想に浸っていて、毎日がいっぱいいっぱいで、とても充実していた。その頃の気持ちを思い出すと、いつも通っている三越前の路地の風景も、なんだか今日だけキラキラ輝いているように見えた。この道をこうして歩いている僕の姿は、昔の僕から見てもまだ輝いているだろうかと、力のない笑顔を浮かべながら歩いて帰ってきた。

 

お風呂の中で、PerfumeのTOKYO GIRLを聴いた。ああ、なんだかこの曲調とこのメッセージは聴いたことがあるなあと思い出し、サカナクションアルクアラウンドも続けて聴いた。この曲は、大学時代によく聴いていた曲で、さっきの夢想に浸っていていっぱいいっぱいだった毎日にぴったりの曲だった。TOKYO GIRLもよくできた曲で、TOKYO GIRLじゃない僕でも、よく同時代人の心情を捉えている曲だなあと感心した。

 

だけど、当事者じゃない僕でさえ理解できる曲の心情というのは、出版された本と同じで、最先端のものではなく、すでに普及しきって蔓延している心情なんだ。それをよくわかるからこそ、ああ、これは僕らが乗り越えていかなければいけない“古い”今なんだ、とも感じた。僕らが向き合っている問題は、これから先の生きるモデルがないということで、それは今後数年経つとますます心の重荷として積み重なってくるだろう問題なんだ。

 

生きるモデルってなにかと言えば、それはきっと歌であったり、言葉であったり、匂いであったり、心の昂りや高揚感であったりで、総じて五感で感じるものなのだと思う。五感で感じる同時代性が、僕らが生きている今ここに根付いているということ。この時空間が僕らの記憶となり、振り返ることができる過去となり、未来を照らす希望になるのだと思う。

 

僕には今そんなモデルはなく、かといって会社に染まり切るのも嫌で、意識を高く保つことで僕の外面から揺り動かそうとしているが、中身となる五感を伴っていないわけだから、なんだかぎこちないなあ、と思ってしまう。4月になると、働き出してから2年目の年が始まってしまう。僕は今、なるべく足場をたくさん作ろうと試みている。

 

そのようにする理由は、なんとなく次のように予感しているからだ。僕自身が引き裂かれるほどに、いろんな僕自身を生きることによって、その裂け目から新しい自分が生まれ落ちるのではないかと。その僕は、きっと新しい五感を伴った僕であるに違いない。新たな生きるモデルと、新たな未来への希望を持った僕であると思っている。そうだ、僕がこの1年追い求めていたものは、確信に満ちた希望なのかもしれない。生活の安定や、出世や、人々の尊敬などではなく、ただ確信に満ちた希望が欲しい。きっとそうなのだ。