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東北生まれの冷え性金融マン・フミコの日常

クローン病をもつ新社会人のブログです。健康のこと、仕事のこと、家庭のこと、キャリアのこと、なんでも思ったことを書いてます。

1/21 きょうのできごと/「時間でお金を買う」のではなく「お金で時間を買う」ことの意味

今日は、昼に弊社内定者、まーちゃん(妻)のバイト先の友人、まーちゃん(妻)、私の4人で築地に行き、寿司を食べてきた。

まーちゃん(妻)のバイト先の友人は、私と同じ金融業のエリア総合職的立場であり、支店営業3年目の子だった。

弊社内定者も来年度から営業に配属予定のため、有意義な時間を過ごすことができたと思う。

 

その後、午後から部署の先輩の結婚式に出席した。受付業務を任され、一次会はまあそこそこ楽しく過ごせたものの、二次会は悲惨だった。初対面である新郎側知人と新婦側知人とでカラオケルームに行ったのだが、全然知らない最近の曲(星野源の恋とか前前前世とか存在は知っているが聞いたこともないしメロディーも覚えてないやつ)が入ったのを「誰か歌って!」と振られて断るのも怠いし、盛り上げなきゃやばいみたいな空気だし、最初から「これは久しぶりに酒をグイグイ飲まないといられない場だわ」と思い、飛ばした。

 

それでも1時間半は耐えていたが、残り30分になって本当にその場の存在の無意味さに見切りをつけずにはいられなくなって、カラオケ受付の待合ソファで腕組み脚組みをして寝て終わるのを待っていた。

 

今回はまあしょうがない。新郎新婦を含めてみんな、とくに私も、乏しい想像力の中で精一杯頑張った。

今後は、一切会いたくもないし会う価値もないと思う人間や場には関わらない。

これまでは、道徳的な理由で「我慢」をする選択肢が多かった。

 

明日のFPは受けない。まーちゃん(妻)に、酒をたくさん飲んだペナルティとして12時までベッドで療養し、精神の安定のためにスープを作ることを課されたからだ。

 

いま読んでいる本に、「時間でお金を買う」のではなく「お金で時間を買う」べし、という言葉が出てきた。また、「時間を消費する」のではなく「時間を投資する」べし、という言葉もあった。

それで気付いた。明日のFPを受けないことによって私が失うものはお金だけだ。お金を失ったぶん、私は今日の昼に友人たちと会い、いい影響を与えあうことができた。昼の時間はまさに、時間を投資した例だった。だから、明日FPを受けず、再度受験料を払う行為は、「時間をお金で買った」のだと言える。そして今日買った時間は関係性を築くための投資に回したのだ。

 

日々、思考が明確になり、切り捨てるべきものとそうでないものが明らかになっていく。切り捨てることによる恐怖はない。なぜなら、長い大学時代で私は、知識こそ身に付けられなかったものの、大事な考え方や生きるために必要な教養を十分に吸収したために、正常な判断力を磨いてきたからだ(母校生のうち、知識偏重的な人には理解できないだろうが)。

 

これからは自分を許す。そして自分の敵を許さない。

敵は自己の精神の内側にはいない。それは明確な姿で外にいる。

愚かな教えは切り捨てる。私は生きることを加速する。