東北生まれの冷え性金融マン・フミコの日常

クローン病をもつ新社会人のブログです。健康のこと、仕事のこと、家庭のこと、キャリアのこと、なんでも思ったことを書いてます。

4/23 生活の記録

今週は水曜日の退院明けに会社に復帰した。3日しか働いていないのだが、密度が濃く長く感じた週だった。退院前に決めたように、食事制限を厳しくしない、ということを念頭に置いて過ごした。水曜日・木曜日のランチは、前もってチェックしておいた会社近くの定食屋で、和食(主に魚系)縛りで好きなものを選ぶことにした。金曜日は、12時から会議があり、その日中に集計すべきものがあったので、残念ながらお弁当を買って食べることにした。水曜夜は退院明け初日で疲弊し、蕎麦屋で刺身を食べた。値段が書いていなかったが、感動的なおいしさだった。そして会計時には値段に驚いてしまった。木・金の夜は、疲れていたこともあり、うまく店を選ぶことができなかった。

 

土曜は、夕方からまーちゃん(妻)とお出かけした。家の近所のとんかつ屋に入り、2年半ぶりくらいにとんかつを食べた。食事制限がストレスにならないように、平日はなるべく肉を食べずに、病気に望ましい食事を選び、週末は一食だけ、なんでも好きなものを食べる食生活習慣を試みることにしたのだ。久しぶりに食べたとんかつは、最初の2切れまではとてもおいしくて、後半はやや重いなと思ったが、それでも、好きなものを食べられる喜びと、そのためにこれまで厳しい食事制限と夜間の鼻から差す栄養摂取を続けてきたんだ、というこのレベルの病状で維持できてきたことへの誇りを感じた。実際、こんな重いものは一週間に一食程度で十分なのだ。その後、まーちゃん(妻)の夢の進捗具合を聞いて、一緒にワクワクして、夜は最新の名探偵コナンの映画をレイトショーで鑑賞してきた。

 

日曜は昼前に起床し、家事と部屋の片付けをした。我が家は3部屋(といっても、仕切りがなく全てつながった空間なのだが)あり、リビングスペースと寝室スペースはある程度完成に近付いてきていた。残り一部屋は勉強机スペースである。平日の忙しさやレイアウト変更の片付け残しなどから、机の上にはスーツや本が山積みになっていた。それらを今日全て片付けて、椅子を二脚並べて、まーちゃん(妻)と二人で机に向かうことができる形にした。この机はもともとはリビング用の木製のテーブルである。テーブルを壁に付けて、テーブルと壁との間には、ベッドの外郭を取り外して作った木製の飾り板を差し込んだ。元となる材料はまーちゃん(妻)が実家でずっと使っていた古いベッドと、引越し前の国立市のリサイクルショップで購入したテーブルなのだが、ちょっとした雰囲気のあるものに仕上げることができた。

 

こんな形になった。

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この机を使う時のルールは、使い終わった時に机の上に何もない状態に戻すことである。そうすれば、机の上に物が多すぎて勉強する気が起きないという状況を避けることができる。あとは、よくこの椅子にスーツを脱ぎっぱなしにしてしまうので、コート掛けが必要かな。

 

机の前の窓からはちょっとしたビル群の夜景が眺められるので、ちょいオシャレな気分を味わうことができる。すっごくオシャレな夜景というわけではないが、都会生活の慰めくらいにはなるものだ。

 

これから、4〜5月のボーナスが入ったら椅子を2脚ともリクライニングができるシステムチェアに、デスクライトも二人分の明るさを賄えるものに買い替えて、まーちゃん(妻)と二人並んで勉強ができる形にしたいと思っている。そうすれば、進んでいない資格試験勉強もきっと進むに違いない・・・

 

3部屋あるうちのリビングは、一切神経を緊張させない、リラックスのためだけの空間にして、こちらの勉強机スペースに、やりがいや目的意識や向上心を詰め込んでしまおうと考えている。 私は緊張しやすいので、こんなふうに極端にメリハリのある空間にしないと、神経が参ってしまうのだ。

 

日曜夜は雑炊を作って簡単な夕食にした。昨日食べてみたかったものを食べたぶん、今日はすんなりと食事制限を守ることができた。先日の記事に書いた通り、これからは食事制限と食欲のコントロールを分けて捉えて、うまく対処することをめざしたい。下記のように考えている。

 

食事→制限することが可能

食欲→×制限する ○コントロールする

 

欲求を制限することはフラストレーションを生み、生きる力を減退させてしまう。むしろ、うまく付き合い、コントロールするものなのだと思う。

 

レミケード(点滴治療)直後は体が元気だから、多少無理してもどんな方法を取ってもだいたいうまくいくものである。上記の習慣を続けてみて、次のレミケード直前の衰退期にうまくストレスと食欲をコントロールすることができるかどうかが分かれ目となる。次の衰退期は5月3週目以降。うまく続くといいなー。

4/18 生きる喜びの再確認

体調を崩して1週間ほど入院していた。入院してみて、自分ってなんで食事制限をしてまで頑張ろうとしていたのかな、とあらためて振り返った。食べたいものを我慢して、時間を有効に使おうとして、自分の価値を高めようと努力し続ける。それってなんのためにしなきゃいけないんだろう。そう思った時に、とくに理由はないなと思った。仕事を通じて何か成し遂げたいことがあるわけではなく、たぶんどんな仕事でも人間関係が良好で知的好奇心をある程度満たせれば自分は満足だろう。でも、なんで働かなきゃいけないんだろう。しかも、食事に気を配って、常に目標を定めて精神を追い詰めてまで。

 

入院してとくにすることもなく寝ているあいだ、湧いてきたのは「体調が落ち着いたらうまいもの食べたいな」という思いだった。月曜日、社会人2年目の4月というタイミングで入院することを決めた理由は、ここで体に無理をさせることで、また腸を切ることになったり、合併症の大腸癌になったり、人工肛門を装着せざるをえなくなるとしたら、絶対後悔するだろうなと思ったからだ。そこまでして今の会社で働こうとは思わない。

 

このように考えてみて、自分はうまいものを食べたいから生きたいんだなということが腑に落ちた。でも、こんなふうに受け入れられることは自分にとって難しいことだったんだ。まず、高校生から今の病気になって、食事制限が必要となった時点で、「自分はもう食事を生きる楽しみにすることはできない。だから、食べることを生きる喜びにすることはやめよう」と思ったのだ。だからそれは、自分の中で最初から選択肢の外にある考え方だった。それに、「食べることが生きる目的だなんて、なんとなく恥ずかしい。もっと高尚な目的や目標を持って生きたい」と思う自分がずっと側にいた。それは、やりがいに満ちた人生を理想とし、快楽を下に見る自分だった。こんなふうに自分を客観視できるようになれたのは、入院中に読んだポール・ドーランという著者による行動経済学の本のおかげだ。その本の中で、「幸福はやりがいと快楽の二要素で構成される」ということが書いてあった。それを読んで、これまでやりがいばかりを追求し、快楽を二の次にする(のだが、実際は快楽がないと生きることが辛いので、理想と現実のギャップに苦しみ続ける)自分のあり方に気付くことができた。なにより、1年間働いた後で入院してみて、頑張る理由が自分の中に見当たらないという事実に直面した。だから、受け入れるしかなかったのだ。

 

これからは、自分の消化器系器官の感覚を最優先して生きることにした。脳は主役ではなく一つの末梢器官にすぎない。消化器系器官が生存するために役立つ範囲で脳を活動させる。というか、せざるをえないのだ。

だから、私はうまいものを食べるために生きる。うまいものを食べるために今よりずっと稼ぎたい。うまいものを食べるために、過度のストレスで体を壊したくない。何が起きようと、うまいものが食えるならオールオッケー。

 

今日の昼に退院した。その足で、まーちゃん(妻)を連れて新宿の老舗の鰻屋に入った。鰻重の特上を頼んで食べた。今まで特上なんて食べたこともない。うやうやしく重箱に入れて運ばれてきて、肝吸いも一緒についてきた。肝吸いを一口飲んで、「あ、うまい」と思った。鰻重を一口食べて、「あー・・・、これのために生きてるんだな、」ってかみしめた。自分の消化器系器官が喜んでいる感覚があった。

 

家に帰って、部屋の模様替えをした。とにかく、落ち着く部屋を作りたかった。目標ややりがいに関することは全部、デスクのあるスペースに詰め込んで。リビングは一切神経を緊張させない、リラックスするためだけの空間にしたかった。それで、昨夜思い立ったことをまーちゃん(妻)に言った。「まーちゃん、あそこに絵を飾りたいんだよね。」それで、八重洲にある画商の店にまーちゃん(妻)と二人で絵を見に行った。20分ほどいろいろな絵を眺めて、選んだのは日本人画家による上高地を描いた油絵だった。自然の雄大さと新緑の季節の爽やかさが織り込まれており、見るだけで心が和やかになる絵だと思う。その絵はいまリビングの壁に飾っていて、「やっぱりこれにしてよかったね、まーちゃん」と何度も呟いてしまった。

 

明日からまた会社だ。心掛けることは、自分の生きる喜びを忘れないこと。自分にとってうまいものを食べることが大事なのだから、ランチは(摂取することが許容されている和食の範囲内で)好きなものを食べること。それに、1週間に1回は食事制限によるストレスを解消するために、気にせず好きなものを食べること。食事によるストレス解消は、食事制限によるストレスに対処するためだけに用いて、それ以外のストレス(最も深刻な問題である「人間関係によるストレス」)は食事以外の方法によって対処すること。そして、うまいものが食えたらオールオッケーなので、余計なことで神経を擦り減らさないこと。これらを心がけて過ごしたいと思う。そんで、もう一回生きることにチャレンジしてみよう。

4/15 入院中のチラシの裏

妻がゼミで先生から薦められたという、千葉雅也著『勉強の哲学 来るべきバカのために』を読んでいた。アイロニーの過剰による「超コード化による脱コード化」とユーモアの過剰による「コード変換による脱コード化」の比較(98頁)まで読んでなんだか読み進められなくなったので、ふっと湧いてきたことを書くことにした。

 

自分の体の中が、よく振った炭酸飲料の中身が湧き上がって来るみたいに、抑えられないなあ、という感覚を持った。

思えば、この前お世話になった教員が日経新聞の経済教室に載っているのを会社の食堂で読んだ瞬間に、その場にいる自分の存在がグロテスクに感じられたことから始まっている。その時私は、サラリーマンでもなく、労働者でもなく、ただ一人の人間としてその席に座っていて、「なぜ私はここにいるのだろう?」と感じた。その場にいた人々の意味世界から漂流しそうになった。

私は、自分自身が今いる場への過剰適応によって生き抜こうとするタイプの人間である。サラリーマンとして、株主価値の創造と会社組織への忠誠という二要素に対する貢献をもって自分の存在価値を持とうとした。労働者として、自分の市場価値を高めることに全力を尽くすことをもって自分の存在する意味を見出そうとした。

私はいま物理的には、なんら株主価値の創造に貢献していない。空から私の姿を眺めれば、ある病院の一室でキーボードを打っている入院患者の一人である。だから、いまこの瞬間においてはサラリーマンとしての私も労働者としての私も、きっと嘘なんだと思う。嘘なんだと思うというより、制度上はそうなんだろうけども、私はきっと制度上はそうである以上に自分の精神上で過剰な忠誠心、過剰な意味づけをしてしまっている。

半年前に心臓を悪くして入院した課長は、きっと入院中も職場のことを考えていただろう。物理的にはただの入院患者に過ぎないし、制度上も、入院している課長が職場の一つ一つの業務について責任を負うことはない。ただ勤続年数と支払った社会保険料と、会社の健康保険組合に入っているかどうかとかで、課長と会社とが病院にいくら支払うかが決まるだけで、別に課長はそのまま会社を辞めてもよかったし転職してもよかったはずだ。

私はあまりにサラリーマン然となってしまっているし、そうでなくとも労働者然となってしまっている。だが、そう言われても、他のあり方で息をしていく勝算はないので、まだこれを続けなくてはならない。富が足りないのか?最低限の生活が必要なのか?社会的地位が足りないのか?

少なくとも私が新卒サラリーマンになったのは、第一に日本社会において「新卒社会人」が得られる社会的な教育の一大機会を一度経験してみたい、と思ったこと、第二に仕事さえしておけば面倒な人間関係から逃れられる場に行きたかったこと、第三に大学時代にそこそこいいランチを食べて生活していたのでこれからもそういう生活をしたかったこと、だいたいそれくらいで、別に会社に入る前からやりがいとか社会貢献を考えていたわけではなかった。どうせ働くならやりがいなり社会貢献なりができなければ損だな、と思うくらいであった。

そう考えてみれば私が長く健康に働き続けるために食べてみたいものを一切食べずに生きるというのは最初の目的から外れているしそこまで頑張らなくてもいいのだろうと思う。病院はいい。あらゆる外の役割から宙吊りになった場のように思える。すごいスピードで近付いては離れていく過去の記憶や将来の希望、外での様々な役割に関する思念の停留所のようだ。私はいま窓際のベッドにいて、大きな窓から白いマンションが見えるのだが、見るたびあのマンションの色合いが変わって見えるのだ。その時その時私が考えていたり感じていたりするものによって、そのマンションのもつ意味合いが違って見える。それは、きっと違う私が見ているのだと思う。違う私たちが同じ視覚を共有しているために、違う私がいるということに気付くことができる。

 

いつかもわからない過去の私が失ったものはなんだろう。代わりに今の私が得たものはなんだったのだろうか。

 

4/13 変化の予感と本日の備忘録

なんとも表現しにくいが、なんだか私の周りで変化が生じている感じがする。直感的な違和感がある。今はまだその意味をうまく捉えることができないし、もしかしたら本質的な変化ではないことを過大に捉えているのかもしれない。いずれにしろ、後から振り返って自分の方向性を見定めるために、私の周りにある変化を一つ一つ書いていきたいと思う。

 

・私が入院した

社会人2年目となる4月2週目の月曜日、私は体調を崩し会社を早退した。持病の悪化による腹痛、発熱、怠さにより、その日の夜にかかりつけの病院に入院することを決めた。実際のところ、入院を決断するのに3時間ほど悩んだ。大学生活のモラトリアムが人より長く、障害者採用でやっとこさ入社することができた会社だ。2年目も、いろいろ思うところはありながらも前向きに仕事に取り組もうと思った矢先の決断だった。ここで有給を使っていいのか。新しい所属長が異動してきた手前、悪い印象を与えないか。だが、最終的には「健康と仕事、どちらを取るのか」というシンプルな問いに落とし込み、私は健康を取ることを決めた。これから先50年間働くとすれば、最初の2年間で病状を大きく悪化させることは愚かだ。たとえ、目先の印象が多少悪くなったとしても、全体最適を選んだつもりだ。

 

・妻がたくさん移動している

妻が博士課程に合格したことは先日書いたが、昨日は妻のゼミの初回授業日だった。もともとその日は妻が会社を早上がりして授業に出る予定だったが、今週頭から私が入院してしまったために、妻は今週ずっと会社の時間給を取ったりフレックスで早帰りしたりして、私のために時間を調整してくれている。今週妻は、15〜16時台には上がり、病院に来て一通り私と話し、売店で晩ごはんを買って面会スペースで食べて(私は絶食中なのでお茶を飲んだりせいぜいヤクルトを飲む程度だ)、それから帰る生活をしている。ややお疲れ気味のようだ。そして、昨日はゼミ初回で、遅れて参加して来たようだ。久しぶりにドゥルーズデリダの名前を聞いた、と喜んでいた。帰宅後は、私がいないことをいいことに、妻の女子校時代の友人がうちに泊まりに来ているらしい。寂しい間相手してもらってありがたいなと思う反面、体力のない妻が頑張りすぎじゃないかな、と心配にもなる。

 

・職場の人が見舞いに来てくれた

今日、課長と先輩2人がお見舞いに来てくれた。妻と私を交えて5人で雑談をした。課長も半年前に心臓を悪くして1週間ほど入院した経緯があるので、健康への配慮がある方だ。「心配せず、まずは療養を」と言われた。私としては、いまいちこの病気との付き合い方がわかっていないので、何をすればいいのかがわからないのだが・・・。この病院は上京以来10年間ほどかかっているところだ。そんな私の一部のような場所に、職場という、私の別の側面として認識していた人々が流入してくる、という経験が、なんだか新鮮だった。私の中で、過去と現在が混在しているような不思議な感覚があった。妻といえば、「あなたが大切にされているようで安心した」とのことだったが、常日頃から私に将来のビジョンを持ち転職することを勧めている妻が、私の現在の職場における私の立場について理解できて安心するとはなんだかな、という気分だ(=だって、今の職場の人に大切にされてても、近い将来に転職してしまうんだとしたら、意味がなくないか?)。

 

・私のキャリアについて、相談のメールを送った

大学院時代に一度だけ相談に乗ってもらったことがある、キャリア相談室の方にメールを送った。直近、妻がその方の企画した「大学院生の就活・OBOG座談会」のようなものに参加した関係で、「そういえばフミコさんは元気?」と尋ねられたとのことで、あちらが私のことを覚えているなら、と思いメールしたのだ。詳細は伏せるが自分自身のここ数年のキャリア展望に関して思い描いていることがあり、若干リスクをとるその計画が、労働市場においてどのような評価を受けるのか、第三者からのコメントが欲しかった。その方は、大手人材紹介会社卒の方なので、その手の肌感覚もあるだろうと思い、さっそく明日昼の電話相談の予約をとった。そして今夜は、その方に相談する概要をメールに打ち出す仕事が残っている。

 

・主体的にスキルを獲得したい業界の入門本を入手した

以前のブログで「データサイエンティストになりたい」と書いたが、どうしたらなれるのか書いてある他人のブログを参考に、「データサイエンティスト養成読本(登龍門編)」を妻に購入して来てもらった。なにしろ、まだコーディングすらできないし、プログラミングの経験もない。線形代数や確率・統計の単位も持っていないのだ!それでも歩き出してみようと、一番初めにふさわしそうな本を買った。次は、この手の業界にすでに入り込んでいる友人知人の力を借りて、労働者としての相場観を知らなければ。

 

・将来の住環境についての擦り合わせを始めた

私も妻も、まだしばらくリスクのあるキャリア展望を持っている。リスクを取るためには担保が必要だ。一つの案として考えたのは、数年以内に妻の実家に住み始めるというものだ。あちらは持ち家で家賃の支払いが終わっているため、私たちがしばらく無収入でも住まいを失うことを避けることができる。また、妻の母親がいれば生活面で安心感が桁違いだ。と思い、妻の母親に同居についてのざっくりとした印象を尋ねてみたところ、あちらはあちらで定年後にチャレンジしたいことがあるらしく、いまの住まいにずっと住んでいるつもりはない模様。人間は、自分の将来については可変的なものとして、他人の将来については安定的なものとして想定してしまうバイアスがあるのだろうか。というのも、先方の両親のチャレンジは、私たち夫婦の住まいの近くで始めようとするものだったからだ。これは、私たち夫婦の現在の状態の継続を前提にしたものだろう。いずれにせよ、私たち夫婦と妻の両親は、互いに避けようのないキーパーソンなのだから、将来設計の綿密な擦り合わせが必要そうだ。

 

・高校時代の友人から連絡が来るようになった

しばらく音信不通だった、高校時代の部活仲間から、LINEのグループへの招待が来た。私はあまり自分から友人に遊びの誘いをすることはなく、もっぱら受け身なのだが、どういうつもりで思い立ったのだろうか。春だからだろうか。自分にとって思いもよらない彼らからの誘いだが、大学時代の時よりも肩の力を抜いて応えられるようになっていることに気付く。

 

私はどちらかというと変化を好む人間だと自負しているが、周りの変化が自分のある一定の閾値を超えると違和感を持ち始め、「変わらない部分」をあえて作ろうとする(多くの人間が同様の習性を持っているだろう)。私にとっての「変わらない部分」は、まず妻を大切にすること。次に、このように感じたことを言葉にすること。そして、なんだかまた無性にスープを作りたくなって来た。

4/9 家庭内組織体制変更のお知らせ

○変更内容

我が家は昨年7月以来、共同経営者制を持って家庭を運営してきましたが、本日付でリーダー・フォロワーの組織体制で運営することを決めました。リーダーは夫・フミコ、フォロワーは妻・まーちゃんが担うことになります。

 

○変更により生じる違い

共同経営者制においては各々が各々のキャリアの成功を目指してきましたが、リーダー・フォロワー体制においては、所属員はリーダーの目指す共同の目標実現のため貢献する責務を負う一方で、リーダーは共同目標の実現に向かう途上でフォロワーの目指す目標を実現させる責務を負います。

 

○変更の理由

我が家は昨年7月以来、共同経営者制を持って家庭を運営してきましたが、昨今の労働環境がもたらす悪影響や、ステークホルダーからの期待に伴う精神的負荷の影響を最小限に抑えるとともに、家庭内の役割分担を明確化して効率的な家庭運営を図り、長期的な観点から妻・まーちゃんのアイデンティティ・キャピタル(特定の労働者としての資質を担保する資本)への投資を実現するため、リーダー・フォロワー体制への移行を決めました。

 

○注釈

・今回の決定は将来の共同経営者制への再移行を妨げるものではありません。

・家庭における組織体制の変更は、所属員の発議により検討することができます。

3/26 衰退期の開始;私は次元を変えて進み続ける

手帳の予定に書いていた通り、週末から衰退期が始まった。衰退期とは、8週間に一度の点滴治療の効果が切れ始めてから次の通院までの間、体調が優れず気分も落ち込んでしまう期間のことである。とくに、土日は寒い日が続いたために落ち幅が大きかった。やるべき課題ができておらず、気持ちが焦って食事に気を使わなかったことも影響した。現時点で、腹も痛いし体もだるい。

 

先日、話題の『鬼速PDCA』を買い、今日読み終わった。さっそく目標を立てねばと思ったものの、PDCAの設定は思考に多くのエネルギーを消費するため、いまは難しい。

 

考えを変えて、この時期にできることをすることにした。それは、本を読むことである。戦力期(調子がいい時期)はとにかく働くことに夢中で、読む本も仕事に関連のある本ばかりであった。衰退期は、自分が元気であるうちは読まないような、社会や歴史に関する本や、趣味のSF小説を読もうと思う。衰退期は意識的に早く帰り、自宅のソファに腰掛けて、ひたすら本を読もう。いま読み始めたのは、アセモグルの『国家はなぜ衰退するのか』である。読まねばとずっと思っていたものが、ようやく読める。

 

このような本は、Twitterの経済学者勢や日経新聞の読書欄、大学生協のサイトなどに紹介されているだろうから、戦力期のうちに気になる本をメモしておき、衰退期に入る直前に書店で大量に購入することにしよう。

 

衰退期の間は疲労感やだるさ、ネガティブな感情によって精力的な活動ができず、悔しい思いやみじめな気持ちを持つことが多かった。だが、以上のように自らのリズムに合わせて日々の過ごし方を変えれば、このような悲しみや焦りを持つこともない。見た目には動かず座っているだけに見えようとも、頭の中では進み続けている。このことに誇りをもって、これから先の生き方に取り入れようと思う。

3/19 謙譲の精神―MATTHEW 7

 マタイによる福音書 第7章

Judge not, that you be not judged.

2 For with what judgement you judge, you will be judged; and with the measure you use, it will be measured back to you.

人をさばくな。自分がさばかれないためである。

2 あなたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。

私は自分のうちに変化をもたらそうとして苦しんでいる。そのために、これまでの自分自身を脱ぎ捨てて、新たな自分の判断基準や信念を丸呑みし、よく咀嚼しながら自分の血肉にしようとしている。愚かにも、その新たな尺度を自分自身に対してだけではなく、関係のない他者にまで振りかざしてしまったのだとしたら、まずはその剣を下ろさねばならない。芯の通った正しさや強さは、時に人を傷付ける。正しさや強さに耐えうる者のみに対して、適切なタイミングでのみ、試練は与えられるべきであり、それを決めるのは人間の身である私ではない。他者の不義理に怒ったとしても、それは簡潔に伝えるだけでいい。自分の怒りを許し、相手の不義理も許そう。そして、他山の石としよう。

 

6 Do not give what is holy to the dogs; nor cast your pearls before swine, lest they trample them under their feet, and turn and tear you in pieces.

6 聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。おそらく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたにかみついてくるであろう。

私自身が呑み込んだ判断基準や信念、人生に関する新たな智は、おいそれと他者に与える必要はない。なによりも、求めていない者に対しては。正しさや強さと同様、与えられる資質と時機が存在する。それを満たさないのであれば、忠告は聞き入れられないし、そればかりか逆にかみついてくる輩もいる。私の信じる正しさを受け入れまいとし、そもそもその存在に感づかない者はその自由意志を尊重し、沈黙を守ることで認めよ。驕り昂ぶるな、最期まで正しさはわからないのだから。

 

7 Ask, and it will be given to you; seek, and you will find; knock, and it will be opened to you.

7 求めよ、そうすれば、与えられるだろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。

常々求めていることは、人生全体に渡って正しい信念を持ち、対等に話し合うことができ、共感を分かち合うことができる同志である。また、未来に対する確信を持った希望と、具体的な計画の立案と実行である。諦めることなく、ひたすら求め続けよう。そして、自らの方向感覚と信念とを捨ててしまわず、信じ続けよう。

 

12 therefore, whatever you want men to do to you, do also to them, for this is the Law and Prophets.

12 だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。

してほしいと望むことは、互いへの愛情と尊重に満ちた関係であり、奪うのではなく適切に与えることである。私も自分自身の傲慢さを捨てて、自由意志を持つ一人の人間として相手の存在を認めよう。人間としての相手に与えられうる最大限の尊重を示し、他者に対して分をわきまえて、自己の領分に踏みとどまる自律と謙譲の精神を養おう。