東北生まれの冷え性金融マン・フミコの日常

クローン病をもつ新社会人のブログです。健康のこと、仕事のこと、家庭のこと、キャリアのこと、なんでも思ったことを書いてます。

2/12 150%の力で取り組むことと完璧を目指さないこと

久しぶりの投稿。

普段は会社から帰って晩ご飯を食べて21時過ぎには眠り、朝は6時頃に起きて会社に行く生活をしているため、なかなか文章を書くことができていない。

とはいえ文章を書く訓練と日々の足跡を残すため、時間と気力がある時は少しでも書き留めたい。

 

先週、私が尊敬している会社の先輩に言われたことは、「150%の力で仕事をすること」と、それでありながら「完璧を目指さない」、ということだった。

150%の力で取り組むというのは、何も永遠に残業するのということではなく、一つの仕事をこなす時に、最低限の力で乗り越えようとせずに、その仕事に関わるなにもかもを吞み込もうとする姿勢のことである。

 

先輩が例として言っていたのは、たとえばExcelのデータ管理を任されたなら(これ自体はたいしたことない仕事だが)、Excelの関数を全部覚えてしまおうと思って取り組む、ということだった。

必要以上の気合と労力で、仕事に関連するなにもかもを呑み込んでやろうという気概。そのような気概を持っている奴は周りに推薦されて、本社部門であったり上に行く、とのことだった。

 

おそらくこの言い方に違和感を持つ人もいるだろうなと思う。それは、「人生における仕事をどう捉えるか」についての前提を異にする場合である。これ自体、一つの大きな論点だと思う。ここでは簡単に、私の今の意見を述べておく。

仕事は人生の唯一の目的ではないが、かといって「パンのために働く」ような、生存のために不可避の苦痛、というだけでもない。それは個人と社会とをつなぐ経路の一つであり、自らの目的を達成するための有効な手段の一つであり、人生に多くの可能性や機会をもたらす営みの一つである。

 

さて、先輩が付け加えて言ったことは、150%の力を注ぎながら、だが決して完璧を目指さないことである。完璧という理想に耐えうる体力がないのであれば、どんなに頭が良くても完璧を目指すうちに潰れてしまう、ということだった。

 

確かに、人生は長い長いマラソンだ。短期的にすごい速度で進んでもそのあと息切れするのであれば、一定のペースで走り続ける人に抜かれてしまう。

しかも人生はきっと、目指す方向がみんなバラバラのマラソンである。さらに、通常のマラソンコースと違ってアップダウンに富み、舗装されていない道もあり、自分の落ち度がないことで邪魔が入ることもある、不公平さと不確実性に満ちたマラソンである。

 

それでも生き続けることができるのは、遠くにある自分の理想に向かって、毎日一歩一歩進んでいるという実感が楽しいからに違いない。毎日何が起こるかわからないし、思うままにならないことも多いが、だからこそ生きてるという実感を得ることができる。なにもかも思い通りの人生なら、勝ちが確定したゲームを続けるのと同じくらいつまらないだろう。

 

自分の時間やお金の使い方、日々の行動や働く場所など、思いのほか自由にできることも多い。その取捨選択や投資配分を工夫しながら、今日もまた挑戦してみる。人生はもっともっと楽しむことができる。そう思っている。

2/5 グリットと社会科学再訪

最近本屋で平積みになっている『グリット やり抜く力』という本を読み終えた。自分なりに内容をまとめると、

 

・成功者は「やり抜く力」が強い。

・「やり抜く力」は3要素に分けることができる。

(※邦訳では2要素だが、自分の理解では3要素)

・「自覚」、「情熱」、「粘り強さ」の3つである。

 

自覚とは、自分が求めているものを明確にわかっていることである。

情熱とは、求めているものに対して尽きない興味関心を持っていることである。

粘り強さとは、調子がいい時もわるい時も、何度失敗したとしても、求めているものに対して諦めずに挑戦し続けることである。

 

話は変わるが、私は昨年修士課程3年目をやっていて、今年度も提出することができなかった。社会人1年目と新婚生活1年目と修士課程を同時にやることは大変だった。

(そんなことはない、お前の意思が弱いだけだ、と思う方は実際に自分で挑戦してみよう!)

 

そして『グリット』を読んで、確信を持ってもう一年やると決めることができた。

私を遮るものは何もない。ノイズが生じうるとすれば、自分自身の人生の中で挑戦していないために他人の人生の批評に忙しい者からの様々な注文や指図だろうが、幸い私は自分の正しさに確信を持っている。なぜなら自分の人生の行き先を決めるのは自分だからだ。

 

その後、メドウズの『世界はシステムで動く』の冒頭を読んで、私がしたかったことはこれだ、と安堵を得ることができた。私がこれまで、感覚として持ちながらも言葉にすることができなかった世界観を、彼女は明確な言葉と多くの実績をもって表現していた。

 

『グリット』の内容に戻り、人生の指針をいくつかの究極的な目標とその下にぶら下がった中位目標、さらにその下にある下位目標として理解するとしよう。私にとって高校時代からずっと持ち続けてきた、人生の知的な側面における究極的な目標は、世の中を見通す力を持ちたい、というものだった。

 

この究極的な目標の下にぶら下がる中位目標を、いま初めて整合的な形で描くことができる。

次の修論における(そして、これまでの修論にも連続的に通底していた)大きなテーマは、経済、人口、社会の関連についての興味である。そこに対する新たなアプローチとして、まーちゃん(妻)から、「地元の現在とフミコの現在とのつながりを見出してみたら?」とヒントを与えられた。

 

確かに、私の大学進学においても、就職活動においても、原動力になったのは、地元が将来廃墟になるのではないかというイメージだった。そこから、これまでがどうで、これからがどうなるのか知りたい、という漠然とした思いを得たのだ。

この意味で、私の原動力に真正面から向き合うこのアプローチの仕方は適切に思える。

 

そこで、いま読んでいる本に即して、「地元の都道府県をシステムとして捉える」ことを最初の一歩にしたいと思う。

これが私の中位目標の1つである。

 

大事なのはここからで、私の業務についても、「企業活動や特定の業界をシステムとして捉える」ことを別の中位目標にすることができる。

企業はゴーイングコンサーンである、このことは、システムはシステム自体の存続を目指す、ことと一致する。これにより、私は最近課されたDCF法をExcelにベタ打ちして理解する課外学習を自分の究極的な目標に整合させることができる。

 

たとえうまくいかなくても、何度挫けても、また立ち直って究極的な目標に向かい続けよう。そうでなければ、人生は味気なく、退屈になってしまうだろうから。

1/28 誕生日に購入した書籍の紹介/この1年、どんなことを大事にして生きたいか

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今週末は、私の誕生日デートをまーちゃん(妻)が企画してくれた。

小さな賞与袋の中に入っていたのはこのバースデイプランと、好きな本を1万円まで買っていいという手作りの引換券だった(ただし、仕事に関係のない本であること)。

 

ワクワクしながら、まーちゃん(妻)と本屋に向かった。買ったのは以下の本たち。

 

・遊びと人間 (講談社学術文庫) 

最近めっきり学術的な思考をしなくなった自分に。職場が男性的な価値基準で成立しているので、彼らのコミュニケーションとうまく距離を取りながら職場になじみたいと思い、選んだ。

 

・親業トレーニング(駿河台出版社)

もうまーちゃん(妻)と付き合って3年ほどになり、そろそろ夫婦の免許更新の時期にあたる。まーちゃん(妻)との共通言語を構築しようと思い選んだ。さっそく4分の3くらい読んだが、日常生活での人間関係にも役立ちそうな内容。

 

・世界はシステムで動く(英治出版

世界がもし100人の村だったら、の著者による本。少し前に流行していた。ずっと気になっていて読みたかった。世の中を見通したいという欲求を満たしてくれるだろうか、思考の軸になってくれるだろうか。楽しみ。

 

・ラルース 地図で見る国際関係(原書房

最近地政学が流行っているが、数年前から興味があった。しかし、最近の人が書いたチャラい内容のものは偏っていそうで敬遠していた。ラルース社は、確かフランスの伝統的な地政学関連書籍を出版しているところ(アトラス地図帳?)なので、これなら、と思い選んだ。山川の詳説世界史風の見た目で、読み物として楽しめそう。

 

そして、次の本はまーちゃん(妻)からのプレゼント。

 

・しごとのきほん くらしのきほん100(マガジンハウス)

シンプルな箴言集。現代的な菜根譚。まーちゃん(妻)いわく、「くらしを大切にしてほしい、けどしごとを頑張る君も認めている、そんなメッセージ」とのこと。自分の判断の軸にしたい。

 

本を購入したあと、ディズニーシーへ。二人で思いっきりアトラクションを楽しんだ。15周年記念の花火もバッチリ見て、いまは近隣のホテルに宿泊している。素敵なデートを企画してくれてありがとう、まーちゃん(妻)。

 

さて、この1年、どんなことをだいじにしていきていきたいか考えた。

 

1、人間として

・信念

私の信念はずっと変わらず、常により良い人間になることを目指し続けることだ(=Humanbeing)。このことは死ぬまで変わらないだろう。この信念と私の実情に乖離を感じる者は、私のことを知らないだけか、あるいは下記の価値基準や対人関係について私と意見を異にしているにすぎない。

 

なぜ常により良い人間になることを目指し続けるのか?その理由は、そうでない人生が退屈だからだ。自分の人生の意味を問う者は、人生に自らの意味を問われているということを知らない。神を試す者は、自らが神に試されているということを知らないのと同様である。

 

・価値基準

20代後半にもなれば、価値判断の基準を決めなくてはならないだろう。私の価値判断の基準は時間にある。以前のブログで述べたように、時間でお金を買うのではなく、お金で時間を買うこと。なぜならば、お金の価値はたいして変わらないが時間の価値や質は大きく変わるものだからだ(命に限りのある人間にとって、お金よりも時間の方が重要であることは疑問の余地がない)。質の高い時間を維持し続けることが判断基準である。昨日は、自分の労働時間の価値を円換算で測る方法を考えていた(機会があれば紹介する)。

本筋とはややずれるが、本も価格相当のお金以上の価値を持つと考えている。なぜならば、お金は働けば手に入れられるが、本は絶版になれば二度と手に入れられないからだ。そうでなくとも、一度手に入れた本がどこにあるのか探すことになれば、その探す時間が失われることになる。このことから、本は価格相当以上の財産であり、易々と人に貸すものではないなと思った。お金を人に貸す時は金利が付く。お金以上の価値がある本を貸すとしたら、どうして金利以上の対価が得られないはずがあろうか。

 

・対人関係

私は人間関係上、自分を押し殺すことが多かった。これからは自分の気持ちを大事にしようと思う。それと同時に、相手の気持ちも聞いてお互いの落としどころを探れるような人間になりたいと思う。自分を押し殺すのも、関係を切り捨てるのも、コミュニケーションの失敗という意味では同じだ。

 

2、暮らしについて

食事を大切にしたい。最近は忙しくてスープを作ることができていない。部屋をあたためて、体をあたためて、健康を保つこと。金の卵を産む鶏を殺さないように生きよ。

自分の家は、ある程度清潔で、暖かくて、風通しのよい場所にしたい。自分にとって居心地がよく、(自分が不快にならない程度に)愛する人々の憩いの場にしたい。

 

3、キャリアについて

仕事は生活や人生を豊かにするための手段である。料理をする時にジャガイモの皮をピーラーで剥き続けることがあるが、全ての仕事はそれと大差ない。仕事をする上で、稀に芸術作品を作ったり、人間と心の通った豊かな交流をしたりするような経験はあるかもしれないが、それらの瞬間以外は皮剥きと同じである。だから私は皮剥きと同じようにひたむきに、無心に、丁寧に仕事をしたい。限りなく無駄な時間を使わずに。私は職場のデスクに、「仕事の質はスピードである」という標語を貼っている。

キャリアは当面、自分の労働時間価値を高め続けると同時に、自分の労働市場における客観的な価値を測る機会を設けることを心がけたい。

 

30歳まであと数年。

20代の時間を有意義に使いたい。

1/25 今日の予定と2ヶ月後の予定

水曜ともなると疲労が溜まるな・・

土日休めなかったからだろうか。

 

今日は部署の先輩の仕事を急遽手伝った(結婚式を開いた人とは別)。

その先輩は投資銀行系の部署にいて、M&A案件に数多く携わっていた人だ。

 

その人から「お前この部署にいてただ言われた仕事だけやってたら伸びないぞ」と言われた。ジュニアなら20代のうちにデータベースに習熟すること(SPEEDAや日経NEEDS等)、法人客への個別提案書(私はまだ作ったことない)にDCF法による企業価値の試算を載せてみること、統計分析をやること等勧められた。

 

嬉しい一方で、できるかな、自分・・・と思い悩んで、まーちゃん(妻)に相談してみた。

まーちゃん(妻)は、「今日と2ヶ月後の予定を考える経営者の話」を教えてくれた。

ある経営者は、朝起きたらまず今日1日の予定を考えるらしい。起きて、何時にどこで何をして、云々。

次に、2ヶ月後の自分を想像する。その経営者いわく、1ヶ月では何もできないが、3ヶ月かけるのは遅い。2ヶ月間あれば何かを達成することができる、と考えているらしい。だから、2ヶ月後にはこれができるようになってるぞ!と考えて行動を決める。この、今日の予定と2ヶ月後の予定の両方を考えるのがポイントなのだとのこと。

 

まーちゃん(妻)からのアドバイスは、2ヶ月後ごとにどこまでできるようになっていたいかを区切って、半年スパンくらいで目標達成を目指すべきだということだ。

また、私だったら1日やってみたらできるようになるよ、とも言われた。

 

そうか、これは昨日の細切れ時間とまとまった時間の話で言えば、どこか土日にまとまった時間を確保して、1日取り組んでみればいいのか。

今日明日の短期間に、細切れ時間でなんとかしようとするのではなく、中期的な視野でまとまった時間をいくつか確保して進んでいけばいい。こう考えたらなんだかできそうな気がしてきたのだった。

 

私はつい「すぐにできるようにならなきゃオワリだ」なんて、思い詰めてしまうところがあったのだが、考えを変えることができた。確かに、中期的にはできなきゃいけないことではあるが、今日は今日でしっかり鼻注の準備をして、睡眠時間を確保して、体を温めなければいけないのだ。それも仕事のうち。

 

先輩から受けた助言はそれとして保留しておいて、休日に時間をとって、自分の中期的な勉強計画のなかに組み入れることにしよう。今日はもうこれで悩むのはおしまい。

 

あと2日、寒さに負けず乗り切るぞ!

1/24 細切れ時間/まとまった時間にそれぞれできることから生活を再設計する

①最近、退社時間を一定にしている。たとえ仕事が終わってなくても、次の日の朝早く来てやろう!と思い、早く帰ることを心掛けている。

②今日は2つの仕事の優先順位を考えた。1つは原稿を作成するもので、ネタをネットから探してくるところから始める必要がある。第一〆切(ネタ候補リストアップ)は1週間後。もう1つは普段やっている業務のフローをマニュアル化するもので、〆切は1ヶ月後。

私はこのうち後者に手を付けた。理由は、後者を早く終わらせてしまえば、他に何も考えることなく前者に没頭できるが、先に前者をやることにすると、後ろにやるべきことがある状態でプレッシャーを感じながら考える作業をしなければならなくなるからだ。

 

①、②から、自分の生活のあり方を見直すべきだと気付いた。

 

仕事や勉強は、日常のちょっとした細切れ時間に少しずつでも進めることができる。本を読むとしたら、とにかく早く全体像に目を通し、その後で何をすべきか考えればいい。

 

他のことに煩わされず遊ぶことに没頭するためには、まとまった時間が必要である。後ろに控えているものを思い出すと、その場を楽しむ気持ちが消え失せてしまうから。

 

だから、細切れ時間でできることは全て細切れ時間同士集めてしまえばいい。そして、それらを集めたことで生まれたまとまった時間に遊びの予定を入れればいい。遊びの時間中は一切効率性重視の物事は考えないことにする。そうすると、逆に細切れ時間の集まりはそれらのことに集中できる。

 

このメリハリを効かせた考え方に、これまで気付くことはできなかった。常に〆切ぎりぎりに(あるいは遅れて)、何かに追われて生きてきたからだろうか。

 

「細切れ時間とまとまった時間」、「効率性重視の時間と創造性重視の時間」、このような軸を持つことができれば、以下の分け方も間違いだと気付く。

 

・家↔︎会社という二項対立

→平日に帰宅しても残っている時間は短い。だから細切れ・効率性重視でやるべきこと(家事、勉強、簡単な運動、徒然な文章を書くこと)をすべきだ。

 

・勉強↔︎遊びという二項対立

→勉強には細切れでできるもの(毎日の積み重ねが重要なこと、たとえば少しずつ資格勉強を進めることや業界誌を読むこと)もあるし、まとまった時間が必要なもの(難しい理論を理解したり、試行錯誤すること)もある。

遊びにも細切れでできるもの(ショッピングや映画鑑賞)もあるし、まとまった時間が必要なもの(創作活動、厚い小説の読破、1日かけた旅行)もある。

だから勉強の日と遊びの日、と分けるのではなく、細切れでできるものを集めた日とまとまった時間が必要な日で分けるべきだ。

 

・・・こんなことを考えた。

昨年は、家庭や生活の大事さを知った一年だった。

今年は、要領のいい生き方を実践できるようになる一年にしたい。

1/22 子育ての成果は子育ての前の準備が決める

今日のまーちゃん(妻)の気付き。

 

自分の目指す姿に近づくよりよい仕事に就くためには、その仕事に就くための準備期間が必要である。そして、その準備期間は子育ての期間と両立しうる。

 

フミコによる補足
①仕事は、(雇われ仕事であるならば)相手に命令され、相手の期限を設定され、相手とのコミュニケーションが必要となる。

 

②仕事のための準備は、自分自身が内容と期限を決めるものであり、他人に影響されすぎることを防ぐために引きこもることを必要とするものであり、深い思考と感覚の掘り下げが必要となるために短期間で一気に達成できるものではなく毎日少しずつ進めるべきものである。

 

以上①と②より、子育てと仕事を両立することよりも、子育てと仕事のための準備期間の方が、より両立しやすいと考えられる。

 

明確である。

 

加えて、まーちゃん(妻)は母校の大学院博士課程進学の準備をしているが、その理由の1つは、子供が生まれた際、その大学院は育児のための社会的資源が多い場所だからである。

 

仕事は、いざ始めてからやみくもに取り組むと非効率的なやり方になる。仕事の前の準備や計画が大事だとよく言われる。
そうであれば、子育てとキャリアの両立についても、いざ始まってからどう両立するかを考え始めるよりも、始める前に両立のための準備や計画をすることが大事だと思っても不思議ではない。

 

もっとも、始める前からすべてを見通すことは難しい。
何事にもきっちりと決める部分と決めないでおく部分(バッファ)がある。
まーちゃん(妻)が決めている部分は、大学院博士課程に進学する準備をすることである。
決めていない部分、幅をもたせている部分は妊娠が確定する期間、妊娠後の生活の変動幅である。

 

ここまで書いてみたがなるほど、それでは私自身も妊娠期間〜子育てに対する準備と計画が必要であるようだ。
考えておかなければ。。。

1/21 きょうのできごと/「時間でお金を買う」のではなく「お金で時間を買う」ことの意味

今日は、昼に弊社内定者、まーちゃん(妻)のバイト先の友人、まーちゃん(妻)、私の4人で築地に行き、寿司を食べてきた。

まーちゃん(妻)のバイト先の友人は、私と同じ金融業のエリア総合職的立場であり、支店営業3年目の子だった。

弊社内定者も来年度から営業に配属予定のため、有意義な時間を過ごすことができたと思う。

 

その後、午後から部署の先輩の結婚式に出席した。受付業務を任され、一次会はまあそこそこ楽しく過ごせたものの、二次会は悲惨だった。初対面である新郎側知人と新婦側知人とでカラオケルームに行ったのだが、全然知らない最近の曲(星野源の恋とか前前前世とか存在は知っているが聞いたこともないしメロディーも覚えてないやつ)が入ったのを「誰か歌って!」と振られて断るのも怠いし、盛り上げなきゃやばいみたいな空気だし、最初から「これは久しぶりに酒をグイグイ飲まないといられない場だわ」と思い、飛ばした。

 

それでも1時間半は耐えていたが、残り30分になって本当にその場の存在の無意味さに見切りをつけずにはいられなくなって、カラオケ受付の待合ソファで腕組み脚組みをして寝て終わるのを待っていた。

 

今回はまあしょうがない。新郎新婦を含めてみんな、とくに私も、乏しい想像力の中で精一杯頑張った。

今後は、一切会いたくもないし会う価値もないと思う人間や場には関わらない。

これまでは、道徳的な理由で「我慢」をする選択肢が多かった。

 

明日のFPは受けない。まーちゃん(妻)に、酒をたくさん飲んだペナルティとして12時までベッドで療養し、精神の安定のためにスープを作ることを課されたからだ。

 

いま読んでいる本に、「時間でお金を買う」のではなく「お金で時間を買う」べし、という言葉が出てきた。また、「時間を消費する」のではなく「時間を投資する」べし、という言葉もあった。

それで気付いた。明日のFPを受けないことによって私が失うものはお金だけだ。お金を失ったぶん、私は今日の昼に友人たちと会い、いい影響を与えあうことができた。昼の時間はまさに、時間を投資した例だった。だから、明日FPを受けず、再度受験料を払う行為は、「時間をお金で買った」のだと言える。そして今日買った時間は関係性を築くための投資に回したのだ。

 

日々、思考が明確になり、切り捨てるべきものとそうでないものが明らかになっていく。切り捨てることによる恐怖はない。なぜなら、長い大学時代で私は、知識こそ身に付けられなかったものの、大事な考え方や生きるために必要な教養を十分に吸収したために、正常な判断力を磨いてきたからだ(母校生のうち、知識偏重的な人には理解できないだろうが)。

 

これからは自分を許す。そして自分の敵を許さない。

敵は自己の精神の内側にはいない。それは明確な姿で外にいる。

愚かな教えは切り捨てる。私は生きることを加速する。