Ta eis heauton

クローン病をもつ社会人のブログです。健康のこと、仕事のこと、家庭のこと、キャリアのこと、なんでも思ったことを書いてます。

2/18 ライフ・シフト第7章

以下は、「ライフ・シフト」の自分用メモである。それゆえに、引用部分の明示や必要な概念の出典を示すことはしない。しかし、自分の感想を除けば、内容は全てライフシフトに書いてあるものである。

 

第7章 新しいお金の考え方 には下記のことが書いてあった。

・長期的な資金計画を立てよう。

なぜ資金計画を立てなければならないのか?それは、第一に、人生の途中で学び直しや新たな挑戦をするべきときに、必要な蓄えがなければ実行できないからである。第二に、労働を終えたあとの生活に必要なお金がなければ、貧しく不満足な生活を送るはめになるからである。

 

・ありがちな現実逃避
しかし、適切な資金計画を立ててそれを実行することは、難しい。えてして人は、下記3種類の安易な解決策に飛びついてしまう。①現役引退後に必要となる所得の水準を低く見積もってしまう、②(家を買う場合)持ち家の資産価値を担保にして借入れによって資金調達できると考える、③投資のリターンを過大に見積もってしまう、の3つである。①若者の僕が、今とは健康状態も余暇の過ごし方も人付き合いの仕方も異なるであろう老後の生活について、主観的に見積もることはできない。②持ち家を担保に生活資金を借り入れるというが、そもそも持ち家を得るためにも借入が必要となるため、その返済額が現在の収支に影響してくる。③誰もがウォーレン・バフェットのような運用をすることができると考えてはならない。投資利回りは、保守的な予測をすべきである。(一般的な投資利回りの水準を調べておくこと)

 

だから、お金に対する自己効力感と自己主体感(この2つの言葉は、本の前半部分で定義されているとのこと)を高めてお金の問題を解決するのだ。

 

・お金に関する自己効力感を高める

自己効力感を高めるためには、まず前提として金融リテラシーを高めることが必要だ。金融リテラシーのレベルは、「ビッグ5」とよばれる以下の質問に答えることで自己診断できる。

Q1;あなたが銀行に100万円預けていて、利息は年に2%だとする。預金を引き出さない場合、5年後にはいくらになっているか?

Q2;預金の利息が年に1%で、インフレ率が年に2%だとする。1年後、あなたがその口座のお金で買えるものは増えるか、変わらないか、減るか?

Q3;「1つの企業の株式を購入することは、投資信託を買うよりも一般に安全性が高い」、この主張は正しいか、間違っているか?

Q4;「15年物の住宅ローンはたいてい、30年物の住宅ローンに比べて月々の返済額は多いが、返済する利息の総額は少なくて済む」、この主張は正しいか、間違っているか?

Q5;金利が上昇したとき、債券の価格はどう変化するか?

(日本では質問を受けた人の25%が3問すべてに正解するらしい、僕は4問正解だった)

 

・3つの基本的な方針

金融に関して、市民が犯しがちな過ちのパターンがある。①株式への投資が少なすぎること、株式投資していても十分に分散していないこと、②株式投資の際になじみのある企業や近くにある企業の株式に投資する傾向が強いこと、③勤務先企業の株式を保有しすぎること(勤務先企業の株価とその企業での雇用によって得られるキャッシュフローはリスクが全く同じである)、④値上がりしている資産を売却し、値下がりしている資産を保持し続ける傾向があること、⑤投資資産を放置しがちなこと。(転職によって企業型確定拠出年金が変わるのだが、人事に書類を出したはずなのにネット上ではまだ未移管者の扱いになってしまっている。早急になんとかしよう)金融資産運用においては、以下3つの基本的方針に従うこと。①リスク分散のために投資対象・ファンドの運営会社を分散させること、②引退が近づいたときにはポートフォリオのリスクを減らし始めること、③資金計画の目的を、資産の市場価値最大化ではなく引退後の安定した収入の確保に置くこと。

 

・長寿化による変化

マルチステージの時代には、資金計画は2種類の目的を達成しなければならない。老後の所得確保と、(中年期で学び直しをするなど)移行期間への備え、の2つである。長寿化は資金計画に以下の変化を与える。

メリット

デメリット

勤労年数が増えることによりローン返済を長期間に分散できる

長い人生の間に所得の変動が増えるため、返済額に柔軟性を持たせる必要がある

人生が長くなると、リスクのある行動に乗り出せる機会も増えるし、裏目に出た場合に挽回する時間的余裕も生まれる

 

長寿化はポートフォリオ分散投資とリスク受容のあり方を変化させる、ということを自覚すること。このことは、必要とされる金融商品の姿も変えてしまう。

 

なお、ファンドに資産運用を依頼するときは、初年の手数料よりも、毎年の維持手数料を重視すること。

 

・お金に関する自己主体感を高める

双曲割引の考え方によれば、人は遠い将来のことには辛抱強いが、近い将来のことに我慢することは難しい。これが、貯蓄やダイエットを失敗させる原因の1つである。これに対処するためにできることは以下のことがある。1つは、将来の自分と現在の自分との間で1つのアイデンティティを形成すること。それは、老後の自分と現在の自分との間で対話をすることである。もうつは、双曲割引の性質を利用すること。収入から自動的に貯蓄するよう手続きをし(今日貯蓄するのは難しくても、来月から貯蓄するよう手続きすることは比較的たやすい)、それが実行されたあとは現状の変化は現状維持よりも難しいことを利用して、なるべく変えないようにする。

 

・アクション

ああ、長かった。追加ですべきことは、まず僕と妻で複数の給与振込口座や支払い先が分散してしまっているので、その流れを単純化するよう公共料金支払い手続きや口座間自動送金の手続きをすること。次に、引退後の必要所得が引退前所得の何%かおおまかに把握すること(本の中では50%とある)。今年度中に資金計画関連の手続きは済ませてしまいたい。

2/14 ライフシフト9章と考えたこと①

今日は会社から帰ってきた後も精神的にさほど疲れていなかったので、夕食後にネットフリックスでフェアリーテイルのアニメを見てリフレッシュするのも数回分で済ませることができた。昨日などは、あまりに疲れ過ぎたので、帰って来た後はずっとゲームをしていなければいけないくらいだったのだが。とはいえ、夜の時間は短い。できることは少ない。あまり頑張らずに取り組めて、かつ未来につながりそうなものを読もうと思い、久しぶりにライフシフトを手に取った。後ろから読み進めて行き、触発された箇所と考えたことをまとめたいと思う。このような読み方やまとめかたは褒められたものではないが、自分の考えを公式の文章にする前の前の段階、チラシの裏の断片として用いている。

 

第9章 未来の人間関係

著者が対比する2つの時代、すなわち高度経済成長期の日本社会のような「3ステージの時代」とこれからの未来だと想定している「マルチステージの時代」。前者はこども→現役労働者→退職者というライフステージの一方向的な進行が自明のものとされた時代であり、後者はこの区分にあてはまらない人生がありふれたものとなる時代であるとしよう(この分類の核はなんだろう?)。この対比において、著者は夫婦の関係について、3ステージの時代は経済学者のゲーリー・ベッカーの「生産の補完性」により性別役割分業が徹底された時代だとする。生産は、著者の言葉でいう「無形資産」と「有形資産」を稼ぐことを意味する(生産はこのような使い方をしていいのだろうか?)無形資産は家族内の情緒の安定性や豊かな人間関係であり、有形資産は主に金融資産を指す。男女の賃金格差が大きい社会においては、比較優位のもと性別役割分業が有効とされていたが、男女の賃金格差が縮まると著者が期待しているマルチステージの社会においては、共働きの場合とくに、片方が働かないことによる家計への機会損失は大きい。そこにおいて夫婦を結びつける誘因は「消費の補完性」であり、ともに同じ家に住むことで生計を節約することであったり、結婚がもたらす法的保護の手厚さであったりする。このような時代には、アンソニー・ギデンズの「親密さの変容」がみられ、二人の間で常に相互の恩恵が得られるような緻密な調整が必要とされる。それによってこそ、マルチステージの時代において、互いが有形資産と無形資産を稼ぐ役割を柔軟に交替することができる。

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こどもを育てたり高齢の親の世話をするために、時間を柔軟に使える仕事に就くことがあるが、著者によれば、私たちが仕事を選ぶときに、次の5つの重要な選択をしている。

・時間のプレッシャーが厳しい仕事か?

・勤務時間をあまり自由に決められない仕事か?

・職場でのスケジュール変更に柔軟に対応しなくてはならない仕事か?

・チームのメンバーと常に一緒にいなくてはならない仕事か?

・自分にしか担当できず、ほかのひとに代わってもらえない仕事か?

これらの問いにイエスと答える仕事は一般に高給であり、現状ではこどものいる女性よりも男性がつくことが多い。労働時間の柔軟性は、とくに知識を扱う仕事においては、同僚や顧客と空間をともにすることで得られる暗黙知の水準を弱めることも一因として働き、労働における機会を狭めることにつながってしまっている。

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触発された部分はいくつかあったのだが、今日の時間に限りがあり、一つのみ書けた。上記の文章では、新鮮な知見は柔軟性から暗黙知へのつながりの部分だ。親密性と夫婦間調整の部分は、実生活で感じていたことであった。日常生活で観測していることにあてはめたらどうだろうか?暗黙知かどうかはわからないが、少なくとも今日の僕の職場でいえば、経験上・知識上の業務課題に対して、すぐ近くに答えを教えてくれる先輩がいることは、学習するうえでプラスの効果を持っている。また、対面の場でそれぞれ仕事をすることにより、「自分の知らないことを知る」ことができる効果もあると思った。とくに、未経験の職業に転身した僕の場合はとくにそうだ。加えて、上記とは関係ないが、業務上の利害関係にない仲間との高めあう関係や愚痴を言い合える関係、というのは難しい課題に取り組むうえで僕の精神衛生上大きな意義を持っているとも思う。今日はこれくらいにして、なるべく思い出したときに自分の日常の相対化を継続しよう。その切り口として、この本を利用しているようだ。

 

2/12 小休止の日

この3連休は遊びに出かけずに、ゆっくりとした休日を過ごした。土曜日は、妻の祖父のお見舞いに行った。80歳を過ぎても元気な人で、見た目にはピンピンしているのだが、どうも心臓が悪くなっており、かかりつけ医の指示で入院してペースメーカーを入れる手術をしたとのことだった。とくだん大きな事故があったわけではないが、むしろなにかが起こる前に予防的措置として手術が決まったのだった。お見舞いには僕と、妻と、妻の母親と祖母の4人で向かった。妻の祖母は祖父がいないと落ち着かないらしく、いつも以上にしゃべってばかりだった。もともと祖父母は二人暮らしをしていたが、祖父はしばらく入院が続くので、家族が代わるがわる祖母の家に泊まりにいっているようだ。今度の水曜日は、妻が泊まりに行くらしい。見舞いの間、僕は家族の出来事を傍から見聞きし、こういう「家のこと」に関わるのも久しぶりだな、とのんきに思っていた。じっさいのところ、祖父は元気そうだし、なんも心配がない。祖父母の関係は、祖父が祖母を気持ちの面で支えているので、できれば祖父はまだまだ元気でいてくれたらと思う。家族について世話の負担という視点でみているあたり、僕は冷たいのかもしれない。

 

日曜日は、妻とけんかをした。僕が転職をして一か月あまり、妻も仕事が忙しくなり、お互いに話す時間が少なくなっていた。そういうなかで、僕が会社でどんなことをしているのか、最近はなにに関心があるのか、妻がキャッチアップできなくなっていたことがすれちがいを生んでいたようだ。僕自身も、おおむね日常に満足していたために、妻に頭の中のことをほとんど伝えずに過ごしてしまっていた。昨年は、日常が苦しかったので、そういうときは思ったことを自然と言葉にすることができた。最近は日常が楽しいので、思ったことを言葉にする暇もなく日常を生きることを優先させていた。そのせいで、お互いがお互いについて持っている認識にずれが生じ、知識の更新が滞っていたのだ。今後は、もう少し丁寧にお互いの事情を伝え合って、知識を更新するとともに、お互いの成長をもっと褒めたり認めたりする機会を増やすようにしようと話し合った。

 

月曜日は、妻が風邪を悪化させたので、看病しつつ家でだらだらと過ごしていた。久しぶりにゲームをしたくなったので、寝ている妻の隣でCivilization6の新しい拡張パックをやっていた。妻は38度越えの熱を出したのだが、僕と付き合って初めてこんな高熱を出したのではないかな(僕はよく熱をだしているけど笑)。幸運なことに1日でだいぶ回復した。先日のお見舞いのときに、妻の母親と祖母に栄養のある食事をとるよう念を押されたことを思い出し、近くのスーパーで鍋物の素を買ってきて、たくさんの野菜とキノコを煮込んで妻に食べさせた。今は熱も引いて快適に過ごしているようだ。そして、ここに引っ越してからずっと、狭い部屋のレイアウトで暮らしてきたのだが、どうも生活の仕方とレイアウトが合ってないように思えたので、部屋の模様替えをした。日本橋の家のリビングに近い配置にし、空間を広く使えるようにした。これなら、1人か2人くらいなら友達を呼んでもゆったり過ごせそうな感じだ。それに、本の背表紙が見えやすくなったので、模様替え前よりも家にある本に手を伸ばしやすくなったのではないかな。もう少し日々の暮らしに気持ちのゆとりをもって、お茶を飲みながら本を読む生活をしたいものだ。この部屋の配置なら、できる気がする。

2/5 呪縛からの解放

今日は仕事が満足にできなくて、妻に「どうしよう~~~」と泣きついた。不安や恐れは未来の脅威に対する感情である。今回の僕の未来の脅威とは、仕事についていけないであったり、仕事ができない人だと思われることであったり、漠然と想像してしまう未来に対する恐怖のことであった。妻は、「まだ入社1ヶ月なわけだからそんな高い水準を期待されてるわけじゃないでしょう。今はまず人間関係を築くことを心がけたら?」と答えてくれた。人間関係か・・・。人間関係を焦点にしなくなって久しい。それはたぶん大学5年生か大学院の頃から、社会人2年目の今に至るまで続いている。僕自身が、あまりに他人の顔色を窺って生きてしまっていると思い、意識的に自分のことだけに注目し始めた。と、今までは思っていた。だが、本当にそうだったのだろうか。確かに、ほかの人々に対して時間をとらなくなり、自分一人の時間を過ごすようになった。時間の使い方は変わった。しかし、自分の心は全然豊かになった気がしないのだ。よく考えてみれば、他人の顔色を窺うにしろ、自分のことだけに注目するにしろ、前者は(自分の心の中に描いた)他者という絶対基準があり、後者は理想の自分という絶対基準があったのだった。基準の対象が変わっただけで、自分に対する「絶対」によって自分自身を縛り付けるあり方はずっと変わっていなかったのかもしれない。そう考えると、久しぶりに人間関係に焦点を当てることも悪くないように思えた。利他的であれ、という自分に課していた絶対基準をやめることができた。そして、今僕は利己的であれ、という自分に課している絶対基準からも解放されようとしている。心を縛らず、他者のために時間を使うということを義務ではなく喜びとして考えられる心の余裕を持ち、どちらを選ぶにしろそんな自分を許すことができるようになる。もっとおおらかに、ゆったりとした気持ちで人生に相対することができる。人を愛し、人に愛されるための種を蒔く。人間は、蒔いていない種を収穫することはできない。職場に限っても、僕一人が毎日汲汲とした気持ちで努力したところで得られる成果はわずかしかない。むしろ、職場の人々と長期的で親密な関係を築く種を蒔いたほうが、継続的に得られるものも大きい。かつて、自分を守るための信念だと思い込んでいたものが、自分に対する呪いであったのだと知る。確かに僕はこの呪いの力を借りて、望むものを手に入れようとした。そして、それだけでは不十分なのだと気づいた。今は幸せをも手に入れようとしている。幸せとは、思いやりと愛、関係に類するものである。僕がこれまで重視していた習慣と規律、そして呪いとは異なる次元にあるものだ。なにより、僕は呪いが強すぎて、自らが求めていたものからかえって離れる結果となっていたこともあるだろう。今この瞬間、僕は安息を得ている。不思議だ。これほどまでに、感覚の断絶が生まれるものとは。これからの数年間は、これまでの5年間とは全く異なる時間となるだろう。豊かな人生の時期にしよう。

2/3 S-Quattroセミナー

今日は株式会社NTTデータ数理システムのS4というシミュレーションソフトを用いた高校専門科・大学での学生による研究事例のセミナーに参加してきた。

S-Quattro アカデミック向け特別セミナー

 

かねてより社会シミュレーションというものには興味を持っていたが、今までなかなか情報収集ができていなかった。その点、シミュレーションを用いた教育実践を聞くことができたことは、導入という意味でよかった。(参加者50名ほどのうち、同じ会社の先輩と偶然会った。彼はおそらく30代後半~40代前半くらいであり、先日うちの会社を辞めて週一回の事業請負契約に移行し、普段は自らが共同設立した会社のCFOとして働いているらしい。僕も、事業請負契約ができるくらい専門性を高めたいものだ。)セミナーの紹介事例のうち興味を持ったのは、早稲田大学の学生が研究した内容だった。彼らは、デパートのトイレの空き状況を電光掲示板で表示するシステムを導入した際に、エージェントであるトイレ待ちの人々の行動と待ち時間がどう変化するかをシミュレーションした。結論はなかなか面白かったので、どこかのサイトで公表されたらこのブログにもリンクを貼りたい。

 

セミナーで紹介されたシミュレーションソフトであるS-Quattroは、教育目的であれば1年間の無償貸与が可能である(利用するデータが公開可能なものであり、1年後の研究報告の義務が課される条件のもと)。とはいえ基本は有料のソフトなので、なるべくお金をかけずに使えるソフトがないか登壇者に尋ねたところ、NetLogoというプログラミング言語を紹介された。

NetLogo - Wikipedia

 

早稲田大学から日本語本も出ているみたいだが、パッとamazonで検索したところ以下の本が良さそうだった。

 

An introduction to Agent-Based Modeling

https://www.amazon.co.jp/dp/B00VR0I91O/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

 

Imai KosukeによるR本っぽい(学部生・院生向け英語かつプログラミング言語のコードの書き方含めて解説してくれそう)。

(Imaiの本も最初やってたんだけど会社入ったりPythonやったりで全然こなせてない…あわわ)

勉強しなきゃいけないことがたくさんあることは結構なことだ。いずれにせよ、質的研究・量的研究に加えてシミュレーションによる研究は研究法における3つ目の方法として今度こそ根付く可能性があるし、なにより僕の志向的に全体感が見えるシミュレーションの手法はとても興味があるので、ぜひとも身に付けたい。なに、別にトップ研究者になりたいとかそういう望みではなく、自分が考えたことを実際に扱えるツールに習熟したいだけだから、やればできるだろう、まだ20代だし。

 

今年の1ヶ月だけでも、僕が本当にしたかったことが次々と現実のものになってきている。非常に嬉しいことだ。この流れを止めず、むしろさらに加速させていこう。

2/1 ごろごろと這いずり回っている

僕は言うなれば、「日経スタイル-東洋経済オンライン的世界観」というフィルターを通じて世界を見ていたのだ。今やその限界は明らかであり、綻びから小さな光の筋が伸びている。というのは、日々は何が起きようと何も変わらず、ただ家と職場と職場の人間関係と組織のみが実在しており、朝とりかかった仕事が終わるかどうかと給料と人生設計と人からどう見られるかが主な関心事であり、もう生きることに退屈しかけているからだ。読める文字はSNSとネット記事とせいぜいビジネス書であり、薄く薄く引き伸ばされた「成長」や「自己実現」を目指して同じ毎日を繰り返している。

 

僕は、言葉によって世界を理解する人間である。現象は意味を持たず、言葉と言葉、概念と概念の間にある意味の連関こそが存在意義である。ゆえに、言語になっているもの以外は認識できない。僕にとっては自分の感覚が絶対基準であり、その感覚をいかに言葉の上に再現するかに全力を注ぐ。妻は僕と真逆で、イメージによって世界を理解する人間である。言葉を介さなくとも現象のメカニズムを見出すことができ、それに対してもっとも効果的と考えられる行動をとることができる。僕は言語化されていないものはあるがままを、感覚を通じて受容してしまうが、妻はおよそあらゆることに対して、言語化されていなくとも自らの範型を保持し、それを当てはめて現状を認識することができる。

 

僕のもう一つの特徴は過剰適応と埋没である。自分の立場に期待されている役割や理想を体現しようとする傾向が強く、埋没or消耗の二極的な状態に陥りがちである。およそ相対的であったためしはなく、埋没状態から次の場所へ脱却したあとに以前の場所とのつながりを感じることで、複数の視点を得る可能性を担保する。僕は望んで変わろうとするが、妻は決して変わるまいとする。妻はどこに行っても自分の理想を忘れず、理想に沿わない現実に対して自らの水準を合わせることをしない。真逆だからこそ一緒にいる意味がある。そして僕は、慣性に支配された軌道をもう一年巡ることを避けるため、全身の感覚を鋭敏にして、どこにあるかまだ認識できていない軌道修正のためのスイッチを感知しようとしている。願わくば、一段、より深層へと降りていきたい。この3,4年間で表層の土台はあらかた固めてしまった。

 

この土台を掘削し下層にたどりつくためには、表層的な物の見方を意識的に遮断できるようにならなければならない。一度としてそんなことができたためしはない。僕にできる一歩目の努力は、言葉の力を借りることだ。3つの超越がある。境界を超えること、時間を超えること、具体を超えることの3つである。自明の常識と離れた捉え方をすること、歴史を通じた厳密な推論をすること(歴史の忘却を防ぐこと)、論理的な手続きを経て現実を認識することの3つである。より深い人間理解、世界理解を求める、「社会人」化への抗いである。それは僕にとって、忘れてしまった名前を思い出そうとすることに似ている。

1/30 妻からの誕生日プレゼント

今日は僕の28歳の誕生日だった。日中は会社の研修の一環で、TreasureDataのハンズオンセミナー・初級SQLセミナーに参加した。内容の面白さもさることながら、28歳最初の日にこのような過ごし方をしていることが、自分の変化とこれから目指していきたい姿の象徴に感じられて、感慨深い時間だった。研修後は会社に戻り、定時に帰って妻と合流した。いつもより少し贅沢な晩ごはんを食べて、その後喫茶店に行きコーヒーとケーキを楽しんだ。すると、おもむろに妻がプレゼントの包みを渡してくれた。転職と引越をしたばかりで貯金を使ってしまったので、今年は何もいらないよと前から言っていたのだが、思い立って買ってきてくれたようだった。包みの中には、ギフトカードと2種類の香水の瓶が入っていた。

 

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左側は白檀のような香り、右側はスパイシーなインドの香りの香水で、組み合わせて使うとより深みが増すらしい。妻が言うには、変わろうとしている僕にそぐうような新しい香りへの挑戦と、もともとの僕の志向に合うような安らぐ香りの2つを選んだという。香水売り場でとても詳しい店員さんと話し込んで、悩んだ末に選んだくれたプレゼントだった。嗅いでみると、ハードボイルドな無骨さと森林の中にいるような落ち着き、スパイスの甘い爽やかさ、そして古い本の匂いを嗅いだような時間の厚み(黴臭さ)が調和した香りで、すぐに気に入ってしまった。

 

実のところ、最近の僕はこれからの自分のありようについて模索していて、「どんな人間になりたいのか?」「どんな姿を目指すのか?」と自分に問いかけては、答えの見つからない苦しさや空虚さを感じることが多かったのだ。妻は、そんな現在の僕を察知していたようだ。ありたい自分の姿の1つのヒントとして香りから攻めるというのは思い付かなかったが、一見迂遠にみえて本質的な一歩なのかもしれない。人間が五感を持つことに感謝したい。そして香水のおかげで、間違いなく27歳と28歳との間は明確な境界線で分かたれた。僕一人では、そしてこのプレゼントをもらっていなかったなら、到底こうはならなかっただろう。

 

昨夜僕は、「28歳とは・・・!まるでおじさんだ、27歳ならまだ若さが感じられるが28歳という語感は加齢臭すらしてくるよ、こまったものだ」なんて考えていた。だがどうだ?昨夜の僕の頭を殴りつけてやりたいくらいだ。とても魅力的な香りなので、それに見合う男にならなければ、と焦りすら感じてくる。そのくらい嬉しいのだ。思うに、男の28は悩み多き年頃だ。昨年までは、僕自身そういう経緯だったということもあるが、あえてキャッチフレーズをつけるなら「滑り込みの27」とでも言うべき期間だった。20代であることの若さがギリギリ許される年齢だ。だが28歳となったいま、年齢相応の渋さを身に付けていなければならないように思う。これは遍く全ての男性に適用するものではなく、ただ僕が僕自身に課しているに過ぎないが・・・。別に他人であれば28歳だろうが29歳だろうが甘いところがあっても「若いのね」と笑っていられるが、28歳の僕が若さをウリにしたり、言い訳に使っていたりするのはとても許せないのだ。それは、仕事以上にプライベートについてそうなのだ。妻はそんな僕に追い打ちをかけて、さらに品位を高めろと要求しているのだ。それが嬉しいのだ。

 

思わずのろけてしまった。それはさておき、辛い28歳だ。焦りの29歳だ。そして後戻りのできない30歳だ。「人間として」男になりたいし大人になりたい。そのために、とにかく必死にもがくのだ。キャリアではなく人格を磨かねばなるまい。それには単に自己啓発本の受け売りをするのではなく、それ以上のなにかを自らの手でつかまなければならない。この3年間で一つの完成品を創り上げることだ。そして、そのためにはおそらく、これまでの僕の人生になかったものを拾いに行かなければならない予感がするのだ・・・。