東北生まれの冷え性金融マン・フミコの日常

クローン病をもつ新社会人のブログです。健康のこと、仕事のこと、家庭のこと、キャリアのこと、なんでも思ったことを書いてます。

5/29 精神性の力

今日はまだ月曜だというのに、身体のあちこちがバキバキで、自宅に帰ってぬるま湯の風呂につかりながら、主に首や肩を中心にひたすらひねってみたりしていた。そのあいだ、お気に入りの音楽(Civilization4のサウンドトラック)をかけて、クラシック音楽の中に埋まり浸っていた。

 

風呂上りにお香を焚きながら、引き続きクラシックを流し、ゆったりと息をしながらストレッチをしていた。目を瞑るとまるで雄大な世界が広がっているかのように思えた。今聴いているこれらの音楽は、300年も400年も人間の文化と共にあった。これらの音楽を愛する人々の群れ、受け継がれる血でつながった人類にとっての港として、灯台として、変わらぬ世界の柱として存在してきたのだと思うと、僕の心の中には、なによりも高く人々の心の寄る辺となるmonumentとしてのこれらの音楽の姿が浮かび上がった。

きっとその姿はひとつの真実なのだと思う。

 

心の中に浮かび上がる広がりと、monumentとしてのこれらの音楽の姿にくらべると、いま僕が生きている日常は色褪せて見える。日々、なんてくだらない仕事が発生しているのだろうと思うし、あまりに物質的で、即物的で、定量的な世界がいたるところから、僕が死ぬ瞬間までずっと敷き詰められており、おぞましいとしか形容できない生が存在しているように思える。qualityという語の意味が失われてしまっている時代なのだろう。

 

心の中に風景を浮かび上がらせるといえば、昔の人は演説の内容を暗記するときに、心の中に建物を建てて、その建物の各部屋を演説の内容の各部分に割り当てることで、長い文章も覚えていたという話だ。だが、もしかするとこの方法は、副次的なテクニックでしかないのではないか。心の中に空間を創ることは本来、人間のもつ創造力を発揮するためにある手段なのではないかと思った。最初は紙に書いてからでいいので、心の中に自分が選び取った美しい空間を次々に創っていく。この空間は何者にも脅かされない空間だ。なによりも、物質主義的で心が壊されそうになるのを防ぐために有効な手段ではないか。この発想は愚かだろうか?きっと、働きだしてから日常の無機質さに直面したことがなく、感情が死にそうになったり虚しさに目の前が白くなったりしたことがない人にとっては意味のない空想に過ぎないのかもしれないが、僕のように日常の虚しさになんとか抗いながら希望と成長意欲の灯を絶やさないようにするのが精いっぱいの人には、日常に真正面からぶつかるより「まだまし」な方法に思える。

 

心の中に創り出した美しい空間になにを結びつけるかといえば、それは本来のqualityだ。僕が思うに、モノやサービスに用いるqualityは消費社会が生んだ語法であり、より伝統的なのは人格に関するものだ。現代社会の人々のように人間性をむやみに貶めるのではなく、未来を切り拓く可能性と希望を人間性に期待すること。その構成要素が人格に関するqualityであり、1950年前後を境に失われたような気がする思想である。

 

同様に、「精神」という言葉、mentalityもまた、分析的なものの見方の戯れの果てに表面的な意味に劣化してしまった。人間がもっていた精神の有機的な連関は、気分や、ストレスや、感情や、知識など、個々の部分にばらばらに散らばって認識されることによって、全体が一つとして働いた時に発揮される推進力を失ってしまったように思える。根拠は薄いが、これが今われわれが生きる時代を特徴づける、人間に対する知のありかた、あらゆる認識の基盤として存在しているように思える。

 

このような見方を現実的ではないと言うのはたやすいし、確かに現代的な感覚にそぐわないのは間違いないと思うのだが、かといって、現実的で現代的な感覚に沿って生きることが意味があるようにも思えない。現に、生きるのが苦しいし、なんだって苦しさに耐え忍んで、心の希望を押し殺してまで、現実の側に合わせてやらねばならないのか。

 

今日の時点で答えを出せるわけではないし、僕もうまく実践できているわけではないのだが、どうも、1950年代より前、あるいはもっと前の時代に書かれた人格や人間性に関する本の中に、今とは違う生き方や、日々使うことのない創造力の使い方に関する記述があるような気がする。それは、少なくともここ50年くらいの間によく浸透してしまった認識とは異なるかもしれないが、だからこそ、今僕が感じている日常の苦しみを抜け出すヒントになるような気がする。

5/27 自己啓発本の意訳①

未来を考えると気分が落ち込んでしまうので、今読んでる自己啓発本のまとめ部分の意訳でも載せよう。

 

1.Your built-in Success Mechanism must have a goal or "target". This goal, or target, must be conceived of as "already in existence-now" either in actual or potential form. It operates by either (1) steering you to a goal already in existence or (2) "discovering" something already in existence.

(Maxwell Maltz, 2015, 'Psyco-Cybernetics', Pengiuin Random House, New York, p31) 

 

意訳

1、人間に埋め込まれている成功のメカニズムはゴールや「標的」がなければ機能しない。このゴールなり標的なりは、現実にあるものであれ潜在的な形態であれ、「すでに今存在するものとして」認識されなければならない。そのメカニズムは(1)すでに存在するゴールに導くか、または(2)すでに存在するなにかを「発見する」かによってはたらく。

 

注釈

すでに述べられたことを下敷きにして書かれているのでこの文章だけではわからない。この一節に関連することとして述べられていたのは、

①Success MechanismとNegative Mechanismの対比

著者が人間の無意識下にあると考えているもの。著者によれば、人間がもつ力は「頭に思い描いたことを現実のものにする力」である。成功すると強く信じてやれば成功するし、失敗すると思ってやれば失敗する。ポジティブなものだろうとネガテイブなものだろうと、人間が頭に思い描いた青写真を、無意識は汲み取ることで実現する。

 

②Success Mechanismとservo-mechanismの対比

Servomechanism (サーボ機構)とは、簡単にいうと自動制御装置のことらしい。僕も詳しくは知らない。著者が文中でよく例に出していたのは誘導ミサイルで、誘導ミサイルは①まず進み、②センサーが現状を把握し、③方向がずれていたら軌道修正する、というプロセスを通じて標的をめざす。自動制御装置は操作者が標的を定め、そのあとは装置が自動的に標的に向かう。著者によると実はSuccess Mechanismも同様で、人間がゴールを定めさえすれば自動的にゴールに向かうものらしい。このように捉えることが、発想の転換だ。

 

③成功する方法を思いつく仕方と度忘れした名前を思い出す仕方の類似

著者によれば、人間の無意識が成功に至る方法を考え付くプロセスは、度忘れした名前を思い出すプロセスに似ているらしい。度忘れした名前を思い出すときは、名前自体が「ある」ことの確信をもつものである。その失われた名前に集中することで、人間は名前をもう一度「発見」することができる(思い出すことができた場合)。名前を思い出すときは、断片的な情報をパズルのように組み合わせながら、ピースをすべてはめることで名前を思い出すことができる(たとえば、「たしかナ行で始まって、3文字で、いかめしい感じの語感で…」のように)。

 

感想

Success Mechanismをどう訳すかと考えて、まずmechanismは法則という言葉が思い浮かんだが、法則というのは公式に当てはめて考えるものであり、ここでのmechanismという言葉の意味は無意識についてのfunctionのprocessを言いたい言葉だろうと思いメカニズムのままにした。続いてSuccessという言葉だが、日本語で成功という言葉は強すぎるうえに胡散臭いので、困ったな、さらっと使いやがってと思ったのだが、この言語感覚はむしろ、日本社会において成功という事柄が常に妬みや疑義の対象として、人々に望まれていないことの現れなのではないかとも思った。

 

今日は眠いからここまでにしよう。。。

にしても、この訓詁学的なスタイルは、読む人にとっては内容がまとまっていなくてそんなに魅力的なコンテンツにはなりそうもないが、書く側の自己満足としてはなかなか楽しいので、これからも継続したい。アクセス数やふぁぼ数でお金を稼いでるわけでもないので。

5/8 眠れないゴムボール

今日は帰宅してすぐ寝たのだが、そんな日に限って深夜に目が覚めてしまう。そして、それは物思いにふける絶好の機会になってしまうのだ。

 

ふと思った。今この瞬間は「生きたい」と「しにたい」がちょうど半々くらいで、いいバランスを保っているな、と。

 

「死にたい」ではなく「しにたい」、あるいは「しにたみ」とは、とめどない上方比較(自分より優れた人と自分とを比較することで自分の地位を測ること)にしろ、絶対的に思える世の中のさだめに対して絶望することにしろ、その瞬間瞬間で切り取られた範囲の「セカイ」を自分の喉元に突きつけることで生まれる感情なのだと思う。

 

ああ、でも、自分は生きていてもいいんだ。あなたも生きていていいのだ。

 

高い自尊心や自己肯定感を持ったまま、現在の自分の水準を否定して向上心を持つことはできるのだ。

 

志を持とうと思って、気持ちや考え方が硬直してしまうと、かえって脆くなってしまう。

人当たり良く、人に好かれるために生きようとすると、自分の感性を殺して、義理と人情に流されるままどこにたどり着くというのか。

夏目漱石の『草枕』の一節のようだ。

 

前者は高校時代までの私で、後者は大学時代の私だ。

どちらもうまくいかない。どうしたらいいのだろうと生き方を模索していた。

気付いた。ゴムボールになればいいのだ。

 

スーパーボールは弾力性があるので、位置エネルギーを飛び跳ねる力に変えることができる。高出力のエンジンとまではいかないが、その跳ね方は力強い。そして、柔軟性があるので、脆く壊れてしまうということがない。柔軟性があるといっても、加えられた力をただ受け続けるのではなく、その内部にある弾力性が働くことで、力を加えられた状況から抜け出すことも、打ち破ることもできる。

 

「しにたい」と「ああ、生きててもいんだ」が両立することは、ゴムボールのように生きることだ。「しにたい」と、心が土に打ち据えられる。ベッドにへばりつかざるをえない。ざらにあることだ。横になったらすぐに「ああ、でも、生きててもいいんだ」と考えられるようになる。そうしたら、また飛び跳ねることができる。起き上がれる。

 

その時々の自分のパフォーマンスで自分の価値を測ることもやめよう。ここで言うパフォーマンスとは、知識の有無であったり、精神的・身体的に完璧に取り組めることであったり、成果そのものであったりする。私のパフォーマンスはだいたい自分の理想よりも低いので、いつでも落ち込む。けど、パフォーマンスを判断の基準と感情の起点にするのはやめよう。むしろ、自分の弾力性を、価値を測る基準にしよう。

 

その瞬間瞬間のパフォーマンスはブレがありすぎて、いつだって気持ちが振り回されてしまう。でも、弾力性なら永続的に自信の源となる。ああ、そうか、向上心とは日々のパフォーマンス水準の継続性のことではなく、心の弾力性のことを言うのだ。

 

何度でも飛び跳ねる。楽しむ。ゴムボールのように生きる。

5/2 元気な時に種を蒔いておくこと

最近は調子が出てきた。体調もまずまずいい(昨日は午前中に腹痛を感じたけれど)し、意欲もないなりにある。わりと気持ちの余裕を持って会社にいることもできるようになってきた。逆に、油断してミスをしやすいとも言える。

 

いまはM&A前捌きをする部署にいる。その関係で、今日は部署の先輩二人の研修を受けてきた。二人とも投資銀行部門にいた人で、内容は基本的なものだったが、やはり人が口で話すのを聞いているのは楽しいし、意欲をかき立てるものだ。そのうちの一人の先輩とは、先日の席替えで向かいの席になった。今日の朝、私は気分があまり乗らない状態で会社に行った。向かいの席の先輩が話しかけてきて(といっても雑談なのだが)、「いやー時間がないな。読んでも読んでも論文が出てくる。」と英語で書かれた論文の束を見せてくれた。彼は会社員のかたわら大学院の博士課程に通っていて、経営学専攻なのだった。だが、なにぶん私は(なんでこんな日に会社に来なきゃいけないんだ・・・)と苛ついていたので、そっけない返事をしてしまった。その後、私の一個上の先輩が、向かいの先輩の席に行って雑談し、論文の内容を簡単に説明してもらっていた。それを向かいで聞きながら、私は(しまったな・・・)と思っていた。いまやっている仕事など他愛ないもので、それよりは向かいの先輩のアカデミックな話の方が長期的に見て価値があることは明白だ。せっかく向かいの先輩の近くで仕事ができるのに、そこから学ぶ機会を見出さないのはまったく愚かとしか言いようがない。私の気分の大部分は会社に来たくなかった不快さで占められていたが、いくつかの自己啓発本の言葉が結晶化して私の脳に残っていたもの、すなわち向上心のかけらが、なんとか靄がかかった私の脳内土壌から芽を出して、私の行動を促した。私は向かいの先輩にもう一度論文を見せてくれ、なぜなら読んだ方がいいと思うからだ、と伝えた。すると先輩は最近気に入っているらしい研究者の実証的な論文(数式が出てくる!ファック!)を教えてくれた。また、しばらく経ってから、アメリカのデラウェア州の裁判所の判例に基づくケーススタディを読めばバリュエーションの論点に精通できる上に英語も読めて一石二鳥だ、という有益な情報を教えてくれた。ファックファックファックと思いながら私は二つの論文を印刷した。そして、会社帰りに近くの書店に行き、M&Aについて書かれた一番易しそうな本3冊を購入して来た(そのうちの一冊のタイトルは「はじめての企業買収」というもので、冷静に考えたらシュールなタイトルだ)。そうしてワクワクしながらまーちゃん(妻)に「僕はこの部署でM&Aに詳しくなってしばらくしたら投資銀行に行って、しばらく働いたらどこか事業会社の経営企画部門に転職してやるんだ」と話した。するとまーちゃん(妻)は、「水を差すようだが、元気だからといってたった一つの道を目の前に置くのは愚かだよ。いま楽しいのはわかるが、普段から所属するコミュニティは2つ以上用意し、元気な時のうちに、元気じゃなくなった時の備えをしておくものだよ」と教えてくれた。確かに、私はいま戦力期に移行したため、なんだってやってやろう!という気概に満ちているが、この状態に依存すると後が辛くなるものだ。戦力期は、努力半分、備え半分くらいの配分がかえって好ましいようにも思える。まーちゃん(妻)のおかげで自分の状態を客観視することができたのだった。

 

明日明後日には自宅の机用の椅子が届く。そうすれば長時間勉強することが(身体的には)苦じゃなくなるだろう。退院後の二週間、よくぞ体調を崩し切ってしまわずに維持することができた。今日の道しるべや快適な勉強空間が提供されることは、きっとそのご褒美だろう。

4/23 生活の記録

今週は水曜日の退院明けに会社に復帰した。3日しか働いていないのだが、密度が濃く長く感じた週だった。退院前に決めたように、食事制限を厳しくしない、ということを念頭に置いて過ごした。水曜日・木曜日のランチは、前もってチェックしておいた会社近くの定食屋で、和食(主に魚系)縛りで好きなものを選ぶことにした。金曜日は、12時から会議があり、その日中に集計すべきものがあったので、残念ながらお弁当を買って食べることにした。水曜夜は退院明け初日で疲弊し、蕎麦屋で刺身を食べた。値段が書いていなかったが、感動的なおいしさだった。そして会計時には値段に驚いてしまった。木・金の夜は、疲れていたこともあり、うまく店を選ぶことができなかった。

 

土曜は、夕方からまーちゃん(妻)とお出かけした。家の近所のとんかつ屋に入り、2年半ぶりくらいにとんかつを食べた。食事制限がストレスにならないように、平日はなるべく肉を食べずに、病気に望ましい食事を選び、週末は一食だけ、なんでも好きなものを食べる食生活習慣を試みることにしたのだ。久しぶりに食べたとんかつは、最初の2切れまではとてもおいしくて、後半はやや重いなと思ったが、それでも、好きなものを食べられる喜びと、そのためにこれまで厳しい食事制限と夜間の鼻から差す栄養摂取を続けてきたんだ、というこのレベルの病状で維持できてきたことへの誇りを感じた。実際、こんな重いものは一週間に一食程度で十分なのだ。その後、まーちゃん(妻)の夢の進捗具合を聞いて、一緒にワクワクして、夜は最新の名探偵コナンの映画をレイトショーで鑑賞してきた。

 

日曜は昼前に起床し、家事と部屋の片付けをした。我が家は3部屋(といっても、仕切りがなく全てつながった空間なのだが)あり、リビングスペースと寝室スペースはある程度完成に近付いてきていた。残り一部屋は勉強机スペースである。平日の忙しさやレイアウト変更の片付け残しなどから、机の上にはスーツや本が山積みになっていた。それらを今日全て片付けて、椅子を二脚並べて、まーちゃん(妻)と二人で机に向かうことができる形にした。この机はもともとはリビング用の木製のテーブルである。テーブルを壁に付けて、テーブルと壁との間には、ベッドの外郭を取り外して作った木製の飾り板を差し込んだ。元となる材料はまーちゃん(妻)が実家でずっと使っていた古いベッドと、引越し前の国立市のリサイクルショップで購入したテーブルなのだが、ちょっとした雰囲気のあるものに仕上げることができた。

 

こんな形になった。

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この机を使う時のルールは、使い終わった時に机の上に何もない状態に戻すことである。そうすれば、机の上に物が多すぎて勉強する気が起きないという状況を避けることができる。あとは、よくこの椅子にスーツを脱ぎっぱなしにしてしまうので、コート掛けが必要かな。

 

机の前の窓からはちょっとしたビル群の夜景が眺められるので、ちょいオシャレな気分を味わうことができる。すっごくオシャレな夜景というわけではないが、都会生活の慰めくらいにはなるものだ。

 

これから、4〜5月のボーナスが入ったら椅子を2脚ともリクライニングができるシステムチェアに、デスクライトも二人分の明るさを賄えるものに買い替えて、まーちゃん(妻)と二人並んで勉強ができる形にしたいと思っている。そうすれば、進んでいない資格試験勉強もきっと進むに違いない・・・

 

3部屋あるうちのリビングは、一切神経を緊張させない、リラックスのためだけの空間にして、こちらの勉強机スペースに、やりがいや目的意識や向上心を詰め込んでしまおうと考えている。 私は緊張しやすいので、こんなふうに極端にメリハリのある空間にしないと、神経が参ってしまうのだ。

 

日曜夜は雑炊を作って簡単な夕食にした。昨日食べてみたかったものを食べたぶん、今日はすんなりと食事制限を守ることができた。先日の記事に書いた通り、これからは食事制限と食欲のコントロールを分けて捉えて、うまく対処することをめざしたい。下記のように考えている。

 

食事→制限することが可能

食欲→×制限する ○コントロールする

 

欲求を制限することはフラストレーションを生み、生きる力を減退させてしまう。むしろ、うまく付き合い、コントロールするものなのだと思う。

 

レミケード(点滴治療)直後は体が元気だから、多少無理してもどんな方法を取ってもだいたいうまくいくものである。上記の習慣を続けてみて、次のレミケード直前の衰退期にうまくストレスと食欲をコントロールすることができるかどうかが分かれ目となる。次の衰退期は5月3週目以降。うまく続くといいなー。

4/18 生きる喜びの再確認

体調を崩して1週間ほど入院していた。入院してみて、自分ってなんで食事制限をしてまで頑張ろうとしていたのかな、とあらためて振り返った。食べたいものを我慢して、時間を有効に使おうとして、自分の価値を高めようと努力し続ける。それってなんのためにしなきゃいけないんだろう。そう思った時に、とくに理由はないなと思った。仕事を通じて何か成し遂げたいことがあるわけではなく、たぶんどんな仕事でも人間関係が良好で知的好奇心をある程度満たせれば自分は満足だろう。でも、なんで働かなきゃいけないんだろう。しかも、食事に気を配って、常に目標を定めて精神を追い詰めてまで。

 

入院してとくにすることもなく寝ているあいだ、湧いてきたのは「体調が落ち着いたらうまいもの食べたいな」という思いだった。月曜日、社会人2年目の4月というタイミングで入院することを決めた理由は、ここで体に無理をさせることで、また腸を切ることになったり、合併症の大腸癌になったり、人工肛門を装着せざるをえなくなるとしたら、絶対後悔するだろうなと思ったからだ。そこまでして今の会社で働こうとは思わない。

 

このように考えてみて、自分はうまいものを食べたいから生きたいんだなということが腑に落ちた。でも、こんなふうに受け入れられることは自分にとって難しいことだったんだ。まず、高校生から今の病気になって、食事制限が必要となった時点で、「自分はもう食事を生きる楽しみにすることはできない。だから、食べることを生きる喜びにすることはやめよう」と思ったのだ。だからそれは、自分の中で最初から選択肢の外にある考え方だった。それに、「食べることが生きる目的だなんて、なんとなく恥ずかしい。もっと高尚な目的や目標を持って生きたい」と思う自分がずっと側にいた。それは、やりがいに満ちた人生を理想とし、快楽を下に見る自分だった。こんなふうに自分を客観視できるようになれたのは、入院中に読んだポール・ドーランという著者による行動経済学の本のおかげだ。その本の中で、「幸福はやりがいと快楽の二要素で構成される」ということが書いてあった。それを読んで、これまでやりがいばかりを追求し、快楽を二の次にする(のだが、実際は快楽がないと生きることが辛いので、理想と現実のギャップに苦しみ続ける)自分のあり方に気付くことができた。なにより、1年間働いた後で入院してみて、頑張る理由が自分の中に見当たらないという事実に直面した。だから、受け入れるしかなかったのだ。

 

これからは、自分の消化器系器官の感覚を最優先して生きることにした。脳は主役ではなく一つの末梢器官にすぎない。消化器系器官が生存するために役立つ範囲で脳を活動させる。というか、せざるをえないのだ。

だから、私はうまいものを食べるために生きる。うまいものを食べるために今よりずっと稼ぎたい。うまいものを食べるために、過度のストレスで体を壊したくない。何が起きようと、うまいものが食えるならオールオッケー。

 

今日の昼に退院した。その足で、まーちゃん(妻)を連れて新宿の老舗の鰻屋に入った。鰻重の特上を頼んで食べた。今まで特上なんて食べたこともない。うやうやしく重箱に入れて運ばれてきて、肝吸いも一緒についてきた。肝吸いを一口飲んで、「あ、うまい」と思った。鰻重を一口食べて、「あー・・・、これのために生きてるんだな、」ってかみしめた。自分の消化器系器官が喜んでいる感覚があった。

 

家に帰って、部屋の模様替えをした。とにかく、落ち着く部屋を作りたかった。目標ややりがいに関することは全部、デスクのあるスペースに詰め込んで。リビングは一切神経を緊張させない、リラックスするためだけの空間にしたかった。それで、昨夜思い立ったことをまーちゃん(妻)に言った。「まーちゃん、あそこに絵を飾りたいんだよね。」それで、八重洲にある画商の店にまーちゃん(妻)と二人で絵を見に行った。20分ほどいろいろな絵を眺めて、選んだのは日本人画家による上高地を描いた油絵だった。自然の雄大さと新緑の季節の爽やかさが織り込まれており、見るだけで心が和やかになる絵だと思う。その絵はいまリビングの壁に飾っていて、「やっぱりこれにしてよかったね、まーちゃん」と何度も呟いてしまった。

 

明日からまた会社だ。心掛けることは、自分の生きる喜びを忘れないこと。自分にとってうまいものを食べることが大事なのだから、ランチは(摂取することが許容されている和食の範囲内で)好きなものを食べること。それに、1週間に1回は食事制限によるストレスを解消するために、気にせず好きなものを食べること。食事によるストレス解消は、食事制限によるストレスに対処するためだけに用いて、それ以外のストレス(最も深刻な問題である「人間関係によるストレス」)は食事以外の方法によって対処すること。そして、うまいものが食えたらオールオッケーなので、余計なことで神経を擦り減らさないこと。これらを心がけて過ごしたいと思う。そんで、もう一回生きることにチャレンジしてみよう。

4/15 入院中のチラシの裏

妻がゼミで先生から薦められたという、千葉雅也著『勉強の哲学 来るべきバカのために』を読んでいた。アイロニーの過剰による「超コード化による脱コード化」とユーモアの過剰による「コード変換による脱コード化」の比較(98頁)まで読んでなんだか読み進められなくなったので、ふっと湧いてきたことを書くことにした。

 

自分の体の中が、よく振った炭酸飲料の中身が湧き上がって来るみたいに、抑えられないなあ、という感覚を持った。

思えば、この前お世話になった教員が日経新聞の経済教室に載っているのを会社の食堂で読んだ瞬間に、その場にいる自分の存在がグロテスクに感じられたことから始まっている。その時私は、サラリーマンでもなく、労働者でもなく、ただ一人の人間としてその席に座っていて、「なぜ私はここにいるのだろう?」と感じた。その場にいた人々の意味世界から漂流しそうになった。

私は、自分自身が今いる場への過剰適応によって生き抜こうとするタイプの人間である。サラリーマンとして、株主価値の創造と会社組織への忠誠という二要素に対する貢献をもって自分の存在価値を持とうとした。労働者として、自分の市場価値を高めることに全力を尽くすことをもって自分の存在する意味を見出そうとした。

私はいま物理的には、なんら株主価値の創造に貢献していない。空から私の姿を眺めれば、ある病院の一室でキーボードを打っている入院患者の一人である。だから、いまこの瞬間においてはサラリーマンとしての私も労働者としての私も、きっと嘘なんだと思う。嘘なんだと思うというより、制度上はそうなんだろうけども、私はきっと制度上はそうである以上に自分の精神上で過剰な忠誠心、過剰な意味づけをしてしまっている。

半年前に心臓を悪くして入院した課長は、きっと入院中も職場のことを考えていただろう。物理的にはただの入院患者に過ぎないし、制度上も、入院している課長が職場の一つ一つの業務について責任を負うことはない。ただ勤続年数と支払った社会保険料と、会社の健康保険組合に入っているかどうかとかで、課長と会社とが病院にいくら支払うかが決まるだけで、別に課長はそのまま会社を辞めてもよかったし転職してもよかったはずだ。

私はあまりにサラリーマン然となってしまっているし、そうでなくとも労働者然となってしまっている。だが、そう言われても、他のあり方で息をしていく勝算はないので、まだこれを続けなくてはならない。富が足りないのか?最低限の生活が必要なのか?社会的地位が足りないのか?

少なくとも私が新卒サラリーマンになったのは、第一に日本社会において「新卒社会人」が得られる社会的な教育の一大機会を一度経験してみたい、と思ったこと、第二に仕事さえしておけば面倒な人間関係から逃れられる場に行きたかったこと、第三に大学時代にそこそこいいランチを食べて生活していたのでこれからもそういう生活をしたかったこと、だいたいそれくらいで、別に会社に入る前からやりがいとか社会貢献を考えていたわけではなかった。どうせ働くならやりがいなり社会貢献なりができなければ損だな、と思うくらいであった。

そう考えてみれば私が長く健康に働き続けるために食べてみたいものを一切食べずに生きるというのは最初の目的から外れているしそこまで頑張らなくてもいいのだろうと思う。病院はいい。あらゆる外の役割から宙吊りになった場のように思える。すごいスピードで近付いては離れていく過去の記憶や将来の希望、外での様々な役割に関する思念の停留所のようだ。私はいま窓際のベッドにいて、大きな窓から白いマンションが見えるのだが、見るたびあのマンションの色合いが変わって見えるのだ。その時その時私が考えていたり感じていたりするものによって、そのマンションのもつ意味合いが違って見える。それは、きっと違う私が見ているのだと思う。違う私たちが同じ視覚を共有しているために、違う私がいるということに気付くことができる。

 

いつかもわからない過去の私が失ったものはなんだろう。代わりに今の私が得たものはなんだったのだろうか。