東北生まれの冷え性金融マン・フミコの日常

クローン病をもつ社会人のブログです。健康のこと、仕事のこと、家庭のこと、キャリアのこと、なんでも思ったことを書いてます。

1/20 悲観的なキャリア指針

今日後輩に話したときになるほどそういう考え方があるのかみたいな反応をされたので文章化する。僕は経営学専攻ではないのでプロダクトライフサイクル仮説は概要しか知らないのだが、(だから元ネタにこう書いてあるかは知らないのだが)この概念が示唆するものの1つに「全ての事業は生まれながらに陳腐化を宿命づけられている」というものがあると思う。そして、個人のキャリア戦略についても同様の考え方を当てはめるなら、「労働者のスキルもまた、陳腐化を宿命づけられている」と考えることができる。最近流行りのAIが仕事を奪う話では、AIに代替される仕事とされない仕事、という区分がなされるが、僕はAIに代替されないスキルを培うレベル(例えば、なんかよくわからないけどすごくクリエイティブで唯一無二のスキル)まで到達できないと自分自身予想しているので、なるべく陳腐化が遅くなるようなスキルを身に付けよう、という発想で生きている。この点、前職で何が不満だったかといえば、前職で身に付けられる専門性は事業承継とM&Aの2つで、僕は両方とも陳腐化が早いと考えた。以下、詳細を書く。

 

まず事業承継の実務に必要な能力とは、大別して営業力と専門知識の2つに分けることができる。専門知識とは、会社法法人税法の2つである。事業承継という仕事を表層的に説明すると、会社法法人税法の知識を組み合わせて、最も支払う税金の額が低くなるような株式移転の方法を見出すことである。ただし、税金の計算と(たぶん)株式周りの実務は税理士の専業であるため、金融機関はあくまでスキーム図を描いて、税理士法人に紹介(丸投げ)して紹介手数料を頂くことで儲ける。だから、例えば金融機関Aと金融機関Bが顧客企業に対して事業承継のアドバイスをする際に、まったく同じスキームを描いてまったく同じ税理士法人を紹介するということも生じる。こうなると金融機関同士で差別化できるのは事業承継発生時の納税資金の調達に際して、貸出金利を下げるくらいなので、早晩金融機関の提供する価値は下がる。さらに、税理士法人がAI(というかExcel)で、前提条件を入力すれば最適な事業承継スキームを決定するシステムを作りさえすれば、金融機関を挟む意味もなくなる。このように考えた。M&Aの場合、非上場株式の評価が問題となる。教科書をかじった程度なのでアレなのだが、要するに財務諸表のどの項目をいくらで見積もって算出するかという話だろうと僕は思った。日本M&Aセンターに至ってはレーマン方式ではなく別の手法を用いていて、ざっくり資産の額に一定の利率を掛けるらしい(※部署のおじさんに聞いた知識なので要出典)ので、数字なんかあってないようなものなのだ。事業承継は相続の場合も売却の場合も、専門知識よりも営業力、すなわち経営者の心に寄り添って最も納得のいく提案をし、顧客の腹を決める力が重要らしい。なるほど、確かにそれはAIにはできないかもしれないが、僕は営業力を自分の武器にしたくない。かといってその筋の専門知識の奥行きの深さも、僕にはあまり魅力に感じられない。そして、どうも陳腐化が早そうである。このように考えたのだった。

 

まあかといって現職の仕事のスキルなら陳腐化が遅いかと言われると、プログラミング言語を使う以上いっそう陳腐化が早い可能性も否定できない。その一方で、やりたい仕事なので労働意欲の分だけ習熟が早まる可能性と、用いるプログラミング言語が変化するにしてもビジネス課題を解析(僕がやってるのはまだ抽出ですがね)で解決する実務経験は前職の仕事よりは陳腐化が遅いかなと。前者が5年だとしたら後者が10年だろうか(ざっくり)。この時間稼ぎで生まれた時間差を、次のスキルを身に付けるための投資期間に充てる。そうして次のスキルで時間稼ぎをしているうちに次の次のスキルへの投資をする。このように、陳腐化を引き延ばしては新たな投資対象を見つけて投資しキャッシュフローを生み出すサイクルがビジネスなのかなと思っており、労働者としての能力についても、同様の捉え方をしているのである。ZUUの冨田氏は著書『鬼速PDCA』の中で、今の時代はどんなプロダクトやサービスも即座に模倣され差別化できなくなり陳腐化するので、PDCAを回す速さ自体を強みにして競争するのだ、的なことを書いており、ちょっとそこまでいくと僕とは違う次元で闘っているなあと感じてしまうのだが、とはいえ原理原則は当てはまるわけで、凡夫ながら陳腐化を遅めて生きていこうと思う次第なのである。

1/20 初ジム

うちの会社はコナミスポーツクラブと法人契約していて、僕と家族は1回300円でジムを利用することができる。今日さっそくジムに行ってきた。人生初ジムである。トレーニングルームは土曜の夕方だというのに盛況で、幅広い年齢層の男女が各々筋トレや有酸素運動に励んでいた。僕は、田舎訛りのある優しげなマッチョのトレーナーさんに教えてもらいながら、初ジムを楽しく過ごすことができた。

 

今日使ったのはルームランナーとチェストプレスの2つである。ルームランナーは25分程度、6.8km/hのスピードで早歩きをした。心拍数125~135の間でジョギングをすると有酸素運動になるとのことなので、僕にとってちょうどこのなかに収まる運動強度が6.8km/hのジョギングなのだった。ウォーミングアップも兼ねたルームランを終えて、次はチェストプレスを試してみた。僕は高校時代から下半身に比べて上半身の筋肉がつきづらい傾向があるので、せっかくの機会と思い、胸筋と腕の筋肉に効果的なマシンを選んだのだった。チェストプレスを使うコツとして教えられたのは以下のこと。まず、肩を落として胸を張る。両手でレバーをつかむが、このとき肘が上がったり下がったりせず、腕が水平になるようにする。レバーを押すときは息をフッと吐きだしながら素早く動かし、戻すときはゆっくり、息を吸いながら動かす。レバーを動かすうちに肩がずり上がり腕の力で動かしてしまいそうになるが、それをこらえて肩を下げ、胸を動かすことを意識する。今日は14kgの重りを10回×3セットこなした。最初ということで、これでおしまいにして風呂に入って帰ってきた。いろいろマシンはあるものの、まず1つ集中して効果を実感したいということもあり、しばらくはルームランナー&チェストプレスのみのメニューで継続してみたいと思う。ほかの体幹系の筋肉は家で自重トレーニングをしても十分な水準を達成できると思うからだ。まずは水曜の夜と土曜の昼の週2回、3月末まで継続できるかが1つの区切りだ。筋肥大が実感できるのは1年後らしいので、のんびり構えて続けられたらと思う。以下、備忘も兼ねて、食事と睡眠についての事項。

 

筋トレは筋トレのみで完成せず、食事と睡眠のほうが重要らしい。睡眠については、トリンプの元社長吉越さんの本に毎日8時間は眠れと書いてあり、それを実践することで条件を満たしたい。食事については、筋トレの前後の摂り方が大事とのことである。まず筋トレ前は90~120分前に、消化されやすい炭水化物を摂ることとある。これは、平日の筋トレ日は退社1時間前にバナナやおにぎりを食べて備えることにしよう。筋トレ後は30分以内に、消化されやすい炭水化物とタンパク質を摂ることが必要らしい。理想的にはプロテインとあるが、僕の場合はラコールが病院から処方されるので、ジムには必ずラコールを持って行って、運動後に飲むことを習慣づけよう。加えて、これはタンパク質の摂取兼自分へのご褒美でもあるのだが、コンビニでサラダチキンを買って家で食べることにしよう。

 

転職をして、自分の体のケアに頭を使えるほどに心の余裕が出てきたみたいだ。今の会社も会社で、しばらくすればなんらかの不満やストレスも生じることが予想されるが、ジム通いを習慣づけることにより、達成感のコントロールとストレス解消を目指そう。

1/14 次の動き方

新しい職場に移ってから暦で10日経過した。環境の変化に適応する必要があり、気持ちが落ち着くことなく、仕事でもプライベートでも時間があっという間に過ぎていく感覚がある。この環境の変化自体は自ら望んだものだから基本的には歓迎なのだが、同時に環境に引きずられてしまっている気持ち悪さもある。前職に配属された当初にも同様の感覚があった。例えるなら、激しい水流に押し流され、溺れながらも頭が水面から出た瞬間に必死に空気を吸い、また流されるままになるような。息継ぎをする間隔を自分のコントロール下に置くことができず、酸欠になりそうな状態だ。だが、僕はもう1年前の僕ではない。この激しい流れの中でも、なんとか自分のコントロール感を確保したい。そのための備忘録である。

 

退職、引越、転職という一連の期間は輝かしく、誇らしく感じるものだ。外部が変化するぶん、自己の内部の統一性を強く感じる期間である。その興奮状態(一種の麻痺)は、それゆえに危険でもある。人は、転職したから偉大になれるわけではない。経験を積んだり実績を出したから偉大になれるのである。そして、僕が積みたい経験や出したい実績というのは、華々しいパフォーマンスで獲得できるものではなく、地味な日常の積み重ねで獲得できる種類のものだ。

 

『人生は20代で決まる』(原題:"The Defining Decade"、メグ・ジェイ著、早川書房、2014年)の1章では、「アイデンティティ・キャピタル」という概念が紹介されている。その特徴を以下に抜粋する。

 

・時間をかけて身につけた、自分の価値を高める経験やスキル~個人的資産

・自分自身に長い間、十分な投資をした結果、自己の一部となったもの

例)

-履歴書に載せられるもの(学位、仕事、課外活動)

-話し方

-住んでいる地域

-問題の処理能力

-外見や印象

・大人の市場に持ち込まれる資質、望むものを得るための通貨

 

この転職は僕にとって一つの挑戦であり、跳躍であった。ひとまず向こう岸からこちらの岸までたどり着くことはできた。得たいものは手に入れた。たとえば、月一の通院を有給消化なしで可能にすること。データ解析の実務環境を手に入れること。より柔軟な労働時間で働く機会を得ること。その一方で、現時点の自分の能力では、仕事を完遂することはできないため、できるようにならなければいけないことがたくさんある。それらをできるようになるためには、結構頑張らなければならない。その意味で、現実に向き合わなければいけない。

 

これから降ってくる仕事をとにかくこなすことに一生懸命になるだけでも、僕が手に入れたかった経験は得ることができるだろう。でもそれだけでは面白くないので、少し俯瞰した視野を持って日々を過ごすよう心がけよう。

 

第一に、「履歴書の続きを書く」意識を持ち続けること。僕のポテンシャル採用可能期間はこの転職で使い切ったわけだから、次からは実績で評価される期間に移行する。浅く広く向上心を持って努力することよりも、実現性の高い実績を埋めていくことを優先する。一番収穫高の大きいものから手を付ける。

 

第二に、社会科学の視点を忘れないこと。解析ツール、数学・統計学マーケティングについては意識しなくても努力せざるを得ないので自然とやるだろう。それ以外の、社会科学の方法論や個別の研究書のインプットを意識すること。それをしなければ、ただの解析屋・マーケティング屋のサラリーマンになってしまう。それはかっこわるいし、バックグラウンドの厚みがなく浅い知見しか出せなくなってしまいそうである。

 

第三に、より身を固めるコミットメントに踏み出すこと。具体的には、子供を作ることや家を買うこと。少し前の僕は流動性の高さをなによりも重視していたが、ガチガチで身動きが取れないほどでないならば、動かない資産/負債を自分の収支のポートフォリオの中に取り入れることも有益かもしれない。

 

第四に、これは達成度が半々なのだが、生きることに肩の力を入れすぎないこと。自分を追い詰めすぎるとかえって人生うまくいかなくなるので、頑張るぞという前提はあるうえで、あまり頑張りすぎないようにする。具体的には、前職の時よりも会社の人に頼る、甘える。もっと遊んだり楽しんだりする時間を自分に許す。完璧主義にならず、最初できなくても凹まない。少しずつできるようになればいいや、と自分を許容する。

 

この文章を書いたことで、少し気持ちと頭の整理をすることができた。また明日から頑張ろう。

1/2 1年前の記事について

1年前にこんな記事を書いた。

 

fumiacrohn.hatenablog.com

 

この中で僕は以下のように述べた。

私の弟2人は高卒で働いている。私は大学を出る方が人生の選択肢が広がると考えている。では、弟2人の人生は大学を出なかった時点で失敗なのか。私は今後一生、弟の人生の喜ばしいことを心から喜んであげられないのか。

この問いに対する、現時点からの回答を書いてみたい。その前に、僕を取り巻く環境の変化を2点挙げよう。

 

第一に、僕は証券会社の、事業承継をアドバイスする部署に1年半勤めた。そこで知ったことは、顧客の大半が個人富裕層であること、個人富裕層はたいてい中小企業経営者であること、稼げる中小企業経営者はキャッシュを貯め込んでおり、どのくらいリッチかというと「付き合い」や「お礼」の名目で手元の10億~100億規模のお金を金融商品につぎこめるほどであること、などだった。サラリーマンって本当にみみっちい生き方なんだな、と実感した。

 

第二に、弟は2人とも良縁に恵まれた。三男の結婚相手は、東北のとある県庁所在地で4社ほど会社を経営している方の娘である。結婚相手の父親は市内商工会の会頭を担っており、地元の名士として慕われている。そんな家に後継者兼婿養子的ポジションで嫁ぐことができた。次男がお付き合いしている相手は経営規模の大きい農家の一人娘であり、うまくいけば農家になるのかもしれない。まさかこうなるとは家族の誰も予想がつかなかった。とくに高校卒業以来フラフラして定職に就かなかった三男については、周りが期待していた以上の人生を歩んでいる。もちろん、東北の会社も、農家も、厳しい外部環境にあることは間違いないが、同時に大きく成功する機会も広く残されている。

 

僕自身の先入観の狭さについて、言い訳をしておきたい。サラリーマンより非上場会社の経営者の方が儲かる可能性があると知らなかったことについて。僕の母校の出身者であれば、中堅企業経営者の親族を持つ人もいるだろうから、「なにをいまさら」と思うかもしれない。だが、僕の生まれ故郷は限界集落で、公務員(地方自治体職員や警察官、あるいは自衛隊)になることが一番の安泰であり、両親二人は高卒の勤め人であるから、自営業=貧乏と考えて生きてきた。どれだけの規模の大企業でサラリーマンになれるかどうかが所得の程度を決定する、と転職前の会社で働くまで思い込んできた。関連して、高卒であることよりも大卒であることのほうがキャリアを進めていくうえで有利だと思い込んでいた。僕は弟2人については、高度成長期の人生モデルを前提に人生うまくいってるかそうでないかを判断していた。これは「都会に出てきた田舎者」である僕の性であっただろう。

 

以上をふまえて、「弟2人の人生は大学を出なかった時点で失敗なのか。私は今後一生、弟の人生の喜ばしいことを心から喜んであげられないのか」について1年後のいま回答しよう。

 

答えは、「人生わかんねえもんだな」だ。

 

学歴が高いほうが平均所得が高いとか、そういうマクロな趨勢はいくらでもあるだろう、けどマクロな趨勢とミクロな個人の人生の振れ幅は同一じゃない。何がうまくいっててそうでないのかは、きっと死ぬときまでわからない。

一番高い学歴で一番名の知れた企業に入ったあとに、精神疾患になったり過労自殺したりすることもある。その時点で人生パアだ。その人間は平均所得を示す統計上に二度と現れることはない。その人間が苦しんでいる日々のストレスという定性情報を、マクロな社会統計は決して捉えることができない。

もちろん、このような限界を承知のうえでプロパー社会科学者は、合意可能な妥当性を基準に社会の姿をとらえようとしているのだろう。それはそれで学問の一つのありかたとして尊重されるべきものだと思う。だが、僕個人の態度として、目の前の一人の人間の可能性を過小評価することは、傲慢であり望ましくないことなのだ、といま感じている。単に頭で理解しているのではなく、具体的な事例をもとに実感として存在を認めている。

 

この点について、視野が広がった1年だった。

12/11 幸福と成功は別のものだという話

今日は18時頃からふらっと散歩に出かけた。コレド日本橋の向かいにあるカフェで数時間勉強した後、気晴らしに足を動かそうと思ったのだ。ウェルシアのある交差点から八重洲側に歩いて中国交通銀行の角で横断歩道を渡って、ナチュラルローソンの脇を通り街灯に照らされた夜の街を歩くサラリーマンたちが塊になって飲み会に向かおうとしているのを追い抜いたり追い抜かれたりしながら、会社をやめること、お世話になった元課長に改めて挨拶をすべきかどうか悩んだり、僕の一つ上の先輩のように3年目にして客先に同行訪問しに行ったらよかったのかしらと想像してみたり。海老バルや駄菓子屋がある交差点で丸善のほうに曲がって、「ハヤシライス発祥の地」の看板がある入り口からまっすぐエスカレーターに進んで、ふと今日は知り合いに会う予感がするなあ、と思いながら二階の金融専門職のブロックを歩いて奥に着き、右に曲がって右側にマーケティング、左側に営業ノウハウの本のあるブロックを歩いて人気書のシマの前に戻り、昇りのエスカレーターで3階に上がって右側の洋書コーナーをちらりと眺めてそのまま右に進み、統計書のあるブロックに左側から入り込んで背表紙をざっと一瞥してまた下りのエスカレーターで1階へ、ネクタイの陳列棚を素通りしてすぐ裏手にルノアールがある出口から一歩外に出て、左折して帰ってきた。この間に僕は、幸福と成功は別のものだな、と考えた。

 

「何が正解かわからないからね~」という言葉がきっかけだった。2週間ほど前に話した人事部のおばちゃんとの会話の際に出てきた言葉だ。僕はそれを思い出した。会社を辞めて正解だったかもしれない。でも、正解じゃなかったかもしれない。1年半しか勤めてない中途半端なタイミングで、とも思えるし、逆に求人が出ていた時期にジャストタイミングで動き出せた、とも思える。転職先がどうなのかはわからない。うまくいくかもしれないし、すごく苦しむかもしれない。転職してしばらくとても苦しかったら、ああ間違いだったな、って思うだろうし、僕が辞めた翌年に前職が倒産したら、ああ賢明だったな、って思うだろう。だから、この転職が僕に成功をもたらすかはわからないし、転職先の職場がいい場所なのかもわからない。もしかしたらもっと辛いかもしれない。こう考えると、僕の肩の荷がすっと下りた。

 

僕の転職が成功だったのか失敗だったのかは現時点でまだわからないし、転職して1年経ってもまだわからないだろう。最終的にわかるのは僕が死ぬときだ。期間の区切り方と評価基準次第で、成功ともいえるし失敗ともいえる。だから、成功や失敗を幸福と混同しちゃいけないんだ。曖昧だし、自分で100%コントロールできないものだから。僕は、仕事でうまくいったりいかなかったりするのとは独立した幸福の感じ方を用意しよう。もし次の職場がつらかったときに、それでも幸福を感じられるような次の手、並行したなにかを持っておこう。

 

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幸福は動的。成功は静的。

幸福は主体的な経験。成功は受動的な評価。

幸福は能動的な生にもとづく。成功は他者との比較にもとづく。

幸福であるかどうかは自分が決める。成功したかどうかは(自分の内面にある評価基準を含む)他者が決める。

 

これが今日考えたこと。

日本橋に住むのもあと2週間ちょっと。

12/9 来年から別のところで働きます

久々の更新となります。実はずっと転職活動をしておりまして、先日ようやく納得のいく内定先を獲得しました。そこで、転職の経緯や転職活動のなかで考えたこと、新しい職場に移る前の現時点で想定していることなどを文章にまとめてみたいと思います。

 

・退職を決めた理由

直接のきっかけは、現職の部長のマネジメント能力が低く、現職場がストレスフルだったからです。ですが、それ以外にもいくつか要因があります。

1つ目は、チームとしての機能不全。確かに部長は現場を知らないくせにトップダウンで指示を矢継ぎ早に出し、我々はそれに振り回されっぱなしだったわけですが、彼の持っている金融業界への危機感自体は僕も共有していました。現状維持よりはなんでもいいから行動してみる姿勢は評価できますし、必要なわけです。ただ、部下のメンバーの平均年齢が高く、大半のメンバーはキャリアが長い分経験豊富であると同時に新しいことにチャレンジする意欲も低かったため、リーダーである部長のスピードについていけてませんでした。ついていく気もなさそうでした。僕が一番疲弊したのはこのリーダーとメンバーとのギャップであり、仮にメンバーが全員20~30代でリーダーの意思決定についていけるほど意欲が高ければ、僕は「仕事とはこういうものか」とそれなりに納得できていたかもしれません。

 

2つ目は、自分自身のキャリアの展望が描けなかったことです。リテールサイドの金融マンは、金融商品の売買による手数料と預かり資産の規模が自身の成績として評価されるため、営業力の高い人によって持っているビジネスです。そのビジネスのあり方は、その組織においてどんな性格特性を持つ人間が出世するのかを規定します。このように考えた時に、僕自身はこの組織で出世できるタイプの人間ではないと思いました。また、この業界の中で成し遂げたいことがとくにあるわけでもありませんでした。そうであるならば、会社組織でとにかく耐え抜き、生き延びる処世術に長けたサラリーマンとして振舞ったところで得られるものはないので、早く(この組織での自分のキャリアに)見切りをつけて、まだ可能性のある職を見つける必要があると考えました。

 

とはいえ、現職が最低のクソ職場かというと決してそんなことはなく、たぶん世の中的にも業界的にもかなりホワイト高給な優良会社だと思います、業界の将来がヤバいだけで。ふつうにいい会社なので10年前とか20年前とかなら僕は勤め上げていたんじゃないでしょうか。

 

・内定先を決めた理由

内定先は某メディアレップ(オンライン広告卸)のデータサイエンティスト見習いの職業です。世間では、データサイエンティストブームは下火であると言われているのですが、下記の理由から決めました。

1つ目は、ローデータ(数字の羅列)から知見を見出すビジネス経験を積みたかったことです。データサイエンティストブームが下火となっている理由の1つとして、ビジネス・アナリティクスで複雑な解析をしたところで、日本企業にはその是非を判断し、日々の業務に落とし込む能力を持った管理職がそんなにいないことがあると思います。また、日本企業のビジネスの意思決定は合理的な意思決定とは程遠い、管理職の思い付きと社内政治の産物であるから、ということもあると思います(僕が恵まれた職場にいなかっただけかもしれないけど)。結論として、今いくら「ビジネスマンのためのデータサイエンス講座」みたいなのが流行ったところで、40~50代の管理職が一掃されない限りは企業内の意思決定に反映されることはないと思います。しかし、20年後30年後に、企業の持つ大規模なデータに基づく意思決定が当然のものになれば、今度は大規模なデータからビジネス上の知見を生み出せることや、少なくとも部下が言っている解析の意味を理解できることが管理職の要件として必須になります。この想定のもと、上記の経験を積みたいと考えました。

 

2つ目に、じゃあなぜメディアレップなのか。率直に言うとそこそこの規模の企業で受かったのがそこしかなかったから(笑)という理由は置いておいて、それは扱うデータの中身が理由です。業態上、個人のインターネット行動履歴に関するデータが大量に蓄積されたデータベースを保有しており、かつ、広告業であるためそれを適切なクラスタ(≒社会集団)に分ける必要があります。大雑把に言うと、「インターネットを通じた個人の行動分析」に携われると思い、自分自身のキャリアの連続性(社会学出自)をふまえて内定先を決めました。

 

とはいえ、内定先で社会学ができるとは思っていないしそれは夢を見すぎだと思います、お仕事なので。それでもなおなんとか続けるとしたら以下の理由があります。現代は、世の中における「データ」のあり方が変化する過渡期にあります。人間行動に関するデータが商用データの中に大量に発生し続けている一方で、そのデータの知見をアカデミックの世界に還元する経路は限られていると思います。さらに、数学的、理工学的、心理学的、経済学的な出自をもつ者がそれらデータを触ることは比較的容易ですが、僕のような人文科学寄りの社会学をバックグラウンドに持つ者がアクセスすることは一層難しいと感じます(こういう対比の仕方がウチの学部っぽい)。社会学を学んだ一人として、このデータと研究者のミスマッチ(感)は見過ごせないため、自分にできる範囲で社会学に貢献したいと考えています。具体的には、中期スパン(5~10年間)で、「人間行動に関する商用ビッグデータのオープンデータ化」の流れに貢献する道をビジネス側から模索するつもりです。

 

 ・まとめ

とまあ、志は高いのだが実力が伴っていないのは重々承知なので、次の職場でスムーズに働けるよう毎日コツコツ勉強したいと思います。ではでは。

 

10/28 休職日記②また、前向きに

最近は、週一回心療内科に通いながら、転職活動をしたり、Rを独学で勉強したりしている。休職によって、妻と一緒にいる時間が増えたことは望ましいことだ。その一方で、僕の転職活動の難しさも感じながら、一進一退している。

 

ある転職支援エージェント会社は障害者採用を専門にしており、そこの中途採用担当と会って話す機会があった。僕がつらつらと転職理由を話し、後日エージェントが会社に伝える転職理由を僕に確認のため送ってきた。そこには、まるで僕が生来の鬱病患者で、社会的弱者だから誰かの庇護がなければ生きていけないのでどうか雇ってくださいと言わんばかりの内容が書いてあった。僕はそれを読んで、怒りとともにその人間と付き合いを断つことを決めた。彼女は、きっと社会的弱者然とした障がい者に慣れすぎているのだろう。

 

先日の失敗をふまえて、今日会ってきた一般採用の転職支援エージェントには、意図的に前向きな理由を強調して述べた。結果として、良い印象を与えることができ、良好な関係を結ぶことができた。(およそ人事やマネジメントに携わる者で、ピグマリオン効果を念頭に置かない者は愚かだ・・・)僕がしたかったのは、単なる印象操作ではなく、自分の中の前向きな判断や思考を強く掴み、それに共鳴する仲間を作り、その仲間に助けてもらう行為だ。

 

今日のエージェントには、今の会社・部署にいても任される仕事が小さいだけでなく無意味かつ気まぐれに発生しているため、ここにいるくらいなら退職してプログラミングでも学んだ方が20代後半の過ごし方として有意義と判断し、年内には次の転職先が決まっても決まっていなくても辞めるつもりである、ということを伝えた。産業医の配慮により期間が先に延びたものの、最初からそのつもりで辞めることを決意していたので、決意と覚悟を持ってそう述べることができる。

 

それでは、10月末ではなく12月末まで延びたことは、単なる時間稼ぎとしての意味しか持っていなかったのか?僕は、そうは思わない。生まれて初めて心療内科に通い、軽度の精神安定剤を処方してもらったことで、10月頭に勢い退職しようとしていた自分が、心身ともに消耗しきっていたことに気付かされた。まず、精神安定剤によって、不眠症から抜け出すことができた。さらに、起きている間中感じていた恨みと悲しみの感情を持たずに過ごすことができるようになった。これまでの僕は、そのせいで思っていた以上に常に疲弊していたのだった。

 

読者は、心療内科と精神科の違いや、適応障害神経症鬱病の違いについて、明確に述べることができるだろうか?

 

僕はできる。この経験を経て、できるようになった。正しく知ることは、正しく人に接することにつながる。僕は、これからこれらの違いについて決して偏見を持たずに済むことができるようになった。身をもって経験し、そのうえで強く生きたいと願ったからだ。

 

今後の転職活動のスケジュールは、11月中旬頃から書類選考の結果が出始めて、面接で忙しくなるのは11月下旬からだろう。年内に決まれば御の字だが、決まらなくてもいい。決まらなかったら、修論の続きをやるなり、もっとRやPythonに詳しくなるなり、しばらく好きな勉強をして過ごすつもりだ。そのように過ごすほうが、不毛な職場で永遠にエクセルのフォーマットをいじり続けていたり、部長の気まぐれな暴言に心を委縮させているよりも、有意義な20代の過ごし方だと確信をもっているからだ。

 

今日は素敵な出会いの連続だった。

まず、僕の弱さではなく強さを理解してくれるエージェントに出会ったこと。その後、愛する妻とともに、二子玉川に夜を楽しみにいってきた。100本のスプーンという名のファミリーレストランで、誕生日みたいに美味しくて遊び心のあるディナーをおなかいっぱい食べてきた。その次に、僕の冬服がないというので、H&Mにコートと何点かの服を買いに行ってきた。そして、プライベートでまともな鞄を持っていなかったので、何店か回った結果、マザーハウスが生産した、こだわりに満ちた鞄を購入した。この鞄は僕のお気に入りだ。

 

妻は、「新しい自分を作る時期だから、新しいファッションを用意してあげたかった」と言った。今日から装い新たに、もっと素敵な自分になれるような気がする。

 

二子玉川の蔦屋書店、ここもお気に入りの場所なんだけど、良い本にも出会った。知っている人がいるかもしれないが、著者は高校時代をアメリカで過ごし、ひたすら筋トレを極めたツイッタラー。ずっと僕に必要だったエッセンスの一部を簡潔にまとめた一冊だ。妻は、マザーハウス創業者の自伝を読んで、波乱万丈な人生に驚き続けていた。

休職期間中に読んだ本については、またどこかの機会に紹介したい。

 

会社に入ってからずっと、正しい方向が見えずに苦しい時期が続いていた。いや、会社に入る前、大学院にいる時からかもしれないし、あるいは大学時代もずっとだったかもしれない。僕の精神は、高校時代や浪人時代に乗り越えられなかった壁の前で、ずっとずっと、足踏みし続けてきた。

今やっと、その地点を乗り越えられる道標が見えた。大学に入って以来、いまだかつてないほど、心が前向きなエネルギーに満ちている。幾多の苦悩や試行錯誤の末に、「適切なマインドセット(の組み合わせ)」を掴みつつある。

現実的な制約や不運、不調はもちろんあるだろう。

それでもなお「人生うまくいくだろう、きっと」という確固とした自信を今の僕は持っている。

この日この契機、この試練に感謝したい。