東北生まれの冷え性金融マン・フミコの日常

クローン病をもつ社会人のブログです。健康のこと、仕事のこと、家庭のこと、キャリアのこと、なんでも思ったことを書いてます。

12/11 幸福と成功は別のものだという話

今日は18時頃からふらっと散歩に出かけた。コレド日本橋の向かいにあるカフェで数時間勉強した後、気晴らしに足を動かそうと思ったのだ。ウェルシアのある交差点から八重洲側に歩いて中国交通銀行の角で横断歩道を渡って、ナチュラルローソンの脇を通り街灯に照らされた夜の街を歩くサラリーマンたちが塊になって飲み会に向かおうとしているのを追い抜いたり追い抜かれたりしながら、会社をやめること、お世話になった元課長に改めて挨拶をすべきかどうか悩んだり、僕の一つ上の先輩のように3年目にして客先に同行訪問しに行ったらよかったのかしらと想像してみたり。海老バルや駄菓子屋がある交差点で丸善のほうに曲がって、「ハヤシライス発祥の地」の看板がある入り口からまっすぐエスカレーターに進んで、ふと今日は知り合いに会う予感がするなあ、と思いながら二階の金融専門職のブロックを歩いて奥に着き、右に曲がって右側にマーケティング、左側に営業ノウハウの本のあるブロックを歩いて人気書のシマの前に戻り、昇りのエスカレーターで3階に上がって右側の洋書コーナーをちらりと眺めてそのまま右に進み、統計書のあるブロックに左側から入り込んで背表紙をざっと一瞥してまた下りのエスカレーターで1階へ、ネクタイの陳列棚を素通りしてすぐ裏手にルノアールがある出口から一歩外に出て、左折して帰ってきた。この間に僕は、幸福と成功は別のものだな、と考えた。

 

「何が正解かわからないからね~」という言葉がきっかけだった。2週間ほど前に話した人事部のおばちゃんとの会話の際に出てきた言葉だ。僕はそれを思い出した。会社を辞めて正解だったかもしれない。でも、正解じゃなかったかもしれない。1年半しか勤めてない中途半端なタイミングで、とも思えるし、逆に求人が出ていた時期にジャストタイミングで動き出せた、とも思える。転職先がどうなのかはわからない。うまくいくかもしれないし、すごく苦しむかもしれない。転職してしばらくとても苦しかったら、ああ間違いだったな、って思うだろうし、僕が辞めた翌年に前職が倒産したら、ああ賢明だったな、って思うだろう。だから、この転職が僕に成功をもたらすかはわからないし、転職先の職場がいい場所なのかもわからない。もしかしたらもっと辛いかもしれない。こう考えると、僕の肩の荷がすっと下りた。

 

僕の転職が成功だったのか失敗だったのかは現時点でまだわからないし、転職して1年経ってもまだわからないだろう。最終的にわかるのは僕が死ぬときだ。期間の区切り方と評価基準次第で、成功ともいえるし失敗ともいえる。だから、成功や失敗を幸福と混同しちゃいけないんだ。曖昧だし、自分で100%コントロールできないものだから。僕は、仕事でうまくいったりいかなかったりするのとは独立した幸福の感じ方を用意しよう。もし次の職場がつらかったときに、それでも幸福を感じられるような次の手、並行したなにかを持っておこう。

 

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幸福は動的。成功は静的。

幸福は主体的な経験。成功は受動的な評価。

幸福は能動的な生にもとづく。成功は他者との比較にもとづく。

幸福であるかどうかは自分が決める。成功したかどうかは(自分の内面にある評価基準を含む)他者が決める。

 

これが今日考えたこと。

日本橋に住むのもあと2週間ちょっと。

12/9 来年から別のところで働きます

久々の更新となります。実はずっと転職活動をしておりまして、先日ようやく納得のいく内定先を獲得しました。そこで、転職の経緯や転職活動のなかで考えたこと、新しい職場に移る前の現時点で想定していることなどを文章にまとめてみたいと思います。

 

・退職を決めた理由

直接のきっかけは、現職の部長のマネジメント能力が低く、現職場がストレスフルだったからです。ですが、それ以外にもいくつか要因があります。

1つ目は、チームとしての機能不全。確かに部長は現場を知らないくせにトップダウンで指示を矢継ぎ早に出し、我々はそれに振り回されっぱなしだったわけですが、彼の持っている金融業界への危機感自体は僕も共有していました。現状維持よりはなんでもいいから行動してみる姿勢は評価できますし、必要なわけです。ただ、部下のメンバーの平均年齢が高く、大半のメンバーはキャリアが長い分経験豊富であると同時に新しいことにチャレンジする意欲も低かったため、リーダーである部長のスピードについていけてませんでした。ついていく気もなさそうでした。僕が一番疲弊したのはこのリーダーとメンバーとのギャップであり、仮にメンバーが全員20~30代でリーダーの意思決定についていけるほど意欲が高ければ、僕は「仕事とはこういうものか」とそれなりに納得できていたかもしれません。

 

2つ目は、自分自身のキャリアの展望が描けなかったことです。リテールサイドの金融マンは、金融商品の売買による手数料と預かり資産の規模が自身の成績として評価されるため、営業力の高い人によって持っているビジネスです。そのビジネスのあり方は、その組織においてどんな性格特性を持つ人間が出世するのかを規定します。このように考えた時に、僕自身はこの組織で出世できるタイプの人間ではないと思いました。また、この業界の中で成し遂げたいことがとくにあるわけでもありませんでした。そうであるならば、会社組織でとにかく耐え抜き、生き延びる処世術に長けたサラリーマンとして振舞ったところで得られるものはないので、早く(この組織での自分のキャリアに)見切りをつけて、まだ可能性のある職を見つける必要があると考えました。

 

とはいえ、現職が最低のクソ職場かというと決してそんなことはなく、たぶん世の中的にも業界的にもかなりホワイト高給な優良会社だと思います、業界の将来がヤバいだけで。ふつうにいい会社なので10年前とか20年前とかなら僕は勤め上げていたんじゃないでしょうか。

 

・内定先を決めた理由

内定先は某メディアレップ(オンライン広告卸)のデータサイエンティスト見習いの職業です。世間では、データサイエンティストブームは下火であると言われているのですが、下記の理由から決めました。

1つ目は、ローデータ(数字の羅列)から知見を見出すビジネス経験を積みたかったことです。データサイエンティストブームが下火となっている理由の1つとして、ビジネス・アナリティクスで複雑な解析をしたところで、日本企業にはその是非を判断し、日々の業務に落とし込む能力を持った管理職がそんなにいないことがあると思います。また、日本企業のビジネスの意思決定は合理的な意思決定とは程遠い、管理職の思い付きと社内政治の産物であるから、ということもあると思います(僕が恵まれた職場にいなかっただけかもしれないけど)。結論として、今いくら「ビジネスマンのためのデータサイエンス講座」みたいなのが流行ったところで、40~50代の管理職が一掃されない限りは企業内の意思決定に反映されることはないと思います。しかし、20年後30年後に、企業の持つ大規模なデータに基づく意思決定が当然のものになれば、今度は大規模なデータからビジネス上の知見を生み出せることや、少なくとも部下が言っている解析の意味を理解できることが管理職の要件として必須になります。この想定のもと、上記の経験を積みたいと考えました。

 

2つ目に、じゃあなぜメディアレップなのか。率直に言うとそこそこの規模の企業で受かったのがそこしかなかったから(笑)という理由は置いておいて、それは扱うデータの中身が理由です。業態上、個人のインターネット行動履歴に関するデータが大量に蓄積されたデータベースを保有しており、かつ、広告業であるためそれを適切なクラスタ(≒社会集団)に分ける必要があります。大雑把に言うと、「インターネットを通じた個人の行動分析」に携われると思い、自分自身のキャリアの連続性(社会学出自)をふまえて内定先を決めました。

 

とはいえ、内定先で社会学ができるとは思っていないしそれは夢を見すぎだと思います、お仕事なので。それでもなおなんとか続けるとしたら以下の理由があります。現代は、世の中における「データ」のあり方が変化する過渡期にあります。人間行動に関するデータが商用データの中に大量に発生し続けている一方で、そのデータの知見をアカデミックの世界に還元する経路は限られていると思います。さらに、数学的、理工学的、心理学的、経済学的な出自をもつ者がそれらデータを触ることは比較的容易ですが、僕のような人文科学寄りの社会学をバックグラウンドに持つ者がアクセスすることは一層難しいと感じます(こういう対比の仕方がウチの学部っぽい)。社会学を学んだ一人として、このデータと研究者のミスマッチ(感)は見過ごせないため、自分にできる範囲で社会学に貢献したいと考えています。具体的には、中期スパン(5~10年間)で、「人間行動に関する商用ビッグデータのオープンデータ化」の流れに貢献する道をビジネス側から模索するつもりです。

 

 ・まとめ

とまあ、志は高いのだが実力が伴っていないのは重々承知なので、次の職場でスムーズに働けるよう毎日コツコツ勉強したいと思います。ではでは。

 

10/28 休職日記②また、前向きに

最近は、週一回心療内科に通いながら、転職活動をしたり、Rを独学で勉強したりしている。休職によって、妻と一緒にいる時間が増えたことは望ましいことだ。その一方で、僕の転職活動の難しさも感じながら、一進一退している。

 

ある転職支援エージェント会社は障害者採用を専門にしており、そこの中途採用担当と会って話す機会があった。僕がつらつらと転職理由を話し、後日エージェントが会社に伝える転職理由を僕に確認のため送ってきた。そこには、まるで僕が生来の鬱病患者で、社会的弱者だから誰かの庇護がなければ生きていけないのでどうか雇ってくださいと言わんばかりの内容が書いてあった。僕はそれを読んで、怒りとともにその人間と付き合いを断つことを決めた。彼女は、きっと社会的弱者然とした障がい者に慣れすぎているのだろう。

 

先日の失敗をふまえて、今日会ってきた一般採用の転職支援エージェントには、意図的に前向きな理由を強調して述べた。結果として、良い印象を与えることができ、良好な関係を結ぶことができた。(およそ人事やマネジメントに携わる者で、ピグマリオン効果を念頭に置かない者は愚かだ・・・)僕がしたかったのは、単なる印象操作ではなく、自分の中の前向きな判断や思考を強く掴み、それに共鳴する仲間を作り、その仲間に助けてもらう行為だ。

 

今日のエージェントには、今の会社・部署にいても任される仕事が小さいだけでなく無意味かつ気まぐれに発生しているため、ここにいるくらいなら退職してプログラミングでも学んだ方が20代後半の過ごし方として有意義と判断し、年内には次の転職先が決まっても決まっていなくても辞めるつもりである、ということを伝えた。産業医の配慮により期間が先に延びたものの、最初からそのつもりで辞めることを決意していたので、決意と覚悟を持ってそう述べることができる。

 

それでは、10月末ではなく12月末まで延びたことは、単なる時間稼ぎとしての意味しか持っていなかったのか?僕は、そうは思わない。生まれて初めて心療内科に通い、軽度の精神安定剤を処方してもらったことで、10月頭に勢い退職しようとしていた自分が、心身ともに消耗しきっていたことに気付かされた。まず、精神安定剤によって、不眠症から抜け出すことができた。さらに、起きている間中感じていた恨みと悲しみの感情を持たずに過ごすことができるようになった。これまでの僕は、そのせいで思っていた以上に常に疲弊していたのだった。

 

読者は、心療内科と精神科の違いや、適応障害神経症鬱病の違いについて、明確に述べることができるだろうか?

 

僕はできる。この経験を経て、できるようになった。正しく知ることは、正しく人に接することにつながる。僕は、これからこれらの違いについて決して偏見を持たずに済むことができるようになった。身をもって経験し、そのうえで強く生きたいと願ったからだ。

 

今後の転職活動のスケジュールは、11月中旬頃から書類選考の結果が出始めて、面接で忙しくなるのは11月下旬からだろう。年内に決まれば御の字だが、決まらなくてもいい。決まらなかったら、修論の続きをやるなり、もっとRやPythonに詳しくなるなり、しばらく好きな勉強をして過ごすつもりだ。そのように過ごすほうが、不毛な職場で永遠にエクセルのフォーマットをいじり続けていたり、部長の気まぐれな暴言に心を委縮させているよりも、有意義な20代の過ごし方だと確信をもっているからだ。

 

今日は素敵な出会いの連続だった。

まず、僕の弱さではなく強さを理解してくれるエージェントに出会ったこと。その後、愛する妻とともに、二子玉川に夜を楽しみにいってきた。100本のスプーンという名のファミリーレストランで、誕生日みたいに美味しくて遊び心のあるディナーをおなかいっぱい食べてきた。その次に、僕の冬服がないというので、H&Mにコートと何点かの服を買いに行ってきた。そして、プライベートでまともな鞄を持っていなかったので、何店か回った結果、マザーハウスが生産した、こだわりに満ちた鞄を購入した。この鞄は僕のお気に入りだ。

 

妻は、「新しい自分を作る時期だから、新しいファッションを用意してあげたかった」と言った。今日から装い新たに、もっと素敵な自分になれるような気がする。

 

二子玉川の蔦屋書店、ここもお気に入りの場所なんだけど、良い本にも出会った。知っている人がいるかもしれないが、著者は高校時代をアメリカで過ごし、ひたすら筋トレを極めたツイッタラー。ずっと僕に必要だったエッセンスの一部を簡潔にまとめた一冊だ。妻は、マザーハウス創業者の自伝を読んで、波乱万丈な人生に驚き続けていた。

休職期間中に読んだ本については、またどこかの機会に紹介したい。

 

会社に入ってからずっと、正しい方向が見えずに苦しい時期が続いていた。いや、会社に入る前、大学院にいる時からかもしれないし、あるいは大学時代もずっとだったかもしれない。僕の精神は、高校時代や浪人時代に乗り越えられなかった壁の前で、ずっとずっと、足踏みし続けてきた。

今やっと、その地点を乗り越えられる道標が見えた。大学に入って以来、いまだかつてないほど、心が前向きなエネルギーに満ちている。幾多の苦悩や試行錯誤の末に、「適切なマインドセット(の組み合わせ)」を掴みつつある。

現実的な制約や不運、不調はもちろんあるだろう。

それでもなお「人生うまくいくだろう、きっと」という確固とした自信を今の僕は持っている。

この日この契機、この試練に感謝したい。

10/21 休職日記①疲れながら働いていた時に、読んでいた一節

疲弊しながら働いていた時期、よく読んでいたのはビクトール・フランクルの著書の下記の文章だった。

 

三 労働の意味

既述の如く、生命の意味は単に問われるべきものではなくて、われわれが生命に責任をもって答えるという意味で、答えられるべきものである。そしてこの答えは常に言葉ではなく行為によって与えられるべきであるのはいうまでもない。更にそれは状況と個人の具体性に応じたものであり、いわばこの具体性を自らの中に取り入れていなければならない。したがって真の答えは行動的な答えであり、日常の具体性における答えであり、人間の責任性の具体的な空間からの答えなのである。

(略)

創造価値ないしその実現が生活の使命の全面に出ている限り、その具体的な充足の領域は通常は職業的な活動と一致しているのである。

(略) 

可能な創造的価値実現の領域としての職業労働に対する人間の自然的な関係は、現下の支配的な労働事情の下においてはしばしば歪曲を蒙るのである。特に一日に八時間ないしそれ以上の時間を企業家とその利益のために働き、たとえばいつも計算ばかりしなければならなかったり、廻ってくるベルトに同じ作業をしなければならなかったり、あるいは一つの機械で同じ動作をせねばならないことを訴える人々がいる。仕事は非人格的になり、規格化されればされる程それだけ一層好まれず望ましくないものになるのである。かかる状態においては、労働はもとより賃金や必要物資の獲得の目的のための単なる手段とみなされうるのである。この場合においては本来の生活は自由な時間においてはじめて始まるのであり、その意味はその自由な個人的形成のうちに存するのである。しかしわれわれは、その労働にあまりにも疲れて、それが終った後に、何かよいことを始めることもなく、死んだようにベッドにくず折れざるを得ない人々がいることを忘れてはならない。彼らはその自由な時間をただ休息の時間にせざるをえないのであり、寝るより以外の他のことはできないのである。

                V.E.フランクル『死と愛』より、抜粋

 

この本は全部読み通した訳ではなく、また、前提となる知識が私の持っているものを超えているため完全に理解していない。そのうえで、私は上の文章を、以下のように解釈した。

 

前提として、フランクルは、「人生の意味は何か」という問いかけを、「ほかならぬこの私は、人生を通じてどんな意味を実現できるかどうかということを、人生の側から問われている」と捉える。

 

上記文章に戻って、自分が実現しなければならない人生の意味とは、抽象的な言葉ではなく、具体的な行動によって示されたものである。それは一瞬一瞬の行動でもあるし、様々な自己の選択により生み出した状況や環境でもある。

 

その人生の意味は、理想的には、自分自身の職業と結びついているものである。

 

もし職業と人生の意味がずれているのなら、日常生活において人生の意味を実現できる時間は、働いていない時間ということになる。だが、労働に疲れ果ててしまい、帰宅後や土日に人生の意味の実現に時間を使うことができないのなら、・・・なんのための人生だろうか。

 

*1

*1:ここで私が述べている「人生の意味」は、創造的価値、体験価値、そして態度価値を含む

7/2 2017年上半期所感

2017年の上半期が終わったので、所感を書いてみたい。

この6か月間は、「人に気を遣わないこと」、「強い自分自身を取り戻すこと」を常に念頭に置いて過ごしてきた。様々な試みのなかで、うまくいったこともあればうまくいかなかったこともあった。

 

うまくいったことは、以前よりも自分自身の感情を素直に表出し、自分の感じるままに生きることができるようになったことだ。自分の気持ちを押し殺して他人に合わせることが少なくなった。その一つの成果として、多少間隔に開きはあるにしろ、このブログを続けられたことがある。

 

うまくいかなかったことは、自分自身の身体的な土台作りだ。ヨガやスパ、ウォーキングや8時間睡眠などの体のケアは、やってみたけど続かないことが多かった。仕事で他人に振り回されて、体のケアに使う気力や体力が削られてしまったことが気に食わない原因として心に浮かんでくる。

 

まーちゃん(妻)を大事にすることは、ある程度できていた。具体的には、仕事に時間を使うか、まーちゃん(妻)との約束や、まーちゃんが喜ぶこと、まーちゃんがしたいことに時間を使うか、の二択を迫られた際に、後者を選択することが多かったように思う。自分にとっての精神的な土台であり、生活を一緒に作り上げるパートナーでもある。それに、この選択によって自分自身が幸せだと感じられる時間を創ることができていたので、きっと正しい選択だったのだと思う。

 

いま気がかりなのは、自分を振り返る時間を十分に持てていないことだ。人間の活動は、脳がフルに働いて情報を処理している時間と、脳が自動操縦状態で情報を処理している時間との2種類に分けられるだろう。ここ2週間ほどは、脳はストレス感情の解消に追われており、日々の生活は自動操縦でなんとか乗り切っているような感じがする。土日や一日の朝に立てた予定や計画に則って過ごすことができず、さらに、予定や計画を把握しながら過ごすこともできていない、いっぱいいっぱいの状態が続いている。

 

「働きだしたらいつのまにか数年経っていた」というのはおそらく、脳を自動操縦状態のまま放置していたことを意味しているのだろう。脳の自動操縦機能は人間に備わった有効なものではあるが、それは片側の車輪だけで進もうとするのに等しい。もう片側の車輪は、向かう先はどこなのか、その場所へどのようにして向かうのかを定める青写真を描くことである。目的地が明確なら、脳は必ずその場所まで辿り着く経路を算出できる。これが脳のナビゲーション機能である。ナビゲーション機能を使わずに自動操縦機能だけを働かせ続けることは、古い道路地図と、古い交通ルールをインプットしてカーナビを使い続けることに等しい。最近の自分はそんな状態が続いているような感じがするので、どうも気持ち悪い。

 

20代も残り少ない。次の下半期は意識的にナビゲーション機能を用いることを目標にしよう。そして、それを可能とするために、気力と体力を万全にすることをあらためて心がけよう。

7/1 秋田県の地域区分②金太郎飴はどこを切っても金太郎飴

(※今日はオチがないよ)

 

今日は昨日の続きで、地域振興局の区分に基づいた地域ごとに、人口がどうなるのかを整理してみた。

fumiacrohn.hatenablog.com

 

国立社会保障・人口問題研究所が2013年3月に、日本の各市町村ごとの人口推計を公表している。今日はこれを使ってグラフを作ってみた。

日本の地域別将来推計人口(平成25(2013)年3月推計)|国立社会保障・人口問題研究所

(リンク先の「3.男女・年齢(5歳)階級別の推計結果」を参照)

各市町村ごとに、5歳刻みの推計人口の数値が載っているので、これらを下記の4年齢区分に分けた。ⅰ)0~19歳、ⅱ)20~59歳、ⅲ)60~74歳、ⅳ)75歳~の4つである。それぞれ、ⅰ)子ども年代、ⅱ)子育て年代、ⅲ)いきいきシルバー年代、ⅳ)健康寿命以上年代、と想定している。

 

まず秋田地域。

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残りの6地域はこちら。

 

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 秋田地域だけ人口が40万人くらいいるので別にしてある。これら6地域は縦軸の上限を同じにしている。傾向に違いはなさそう。

 

次は、各年代の割合でグラフを作ってみた。

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うーん、これも僕には違いがわからん。

 

金太郎飴はどこを切っても金太郎飴ということだろうかと思い、最後に秋田県全体の増減と割合のグラフを作ってみた。

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うーーーん、今回は切り取る単位が悪かったようだ。

まーちゃん(妻)に「ケーキに頭突っ込んでどこ食べてもケーキしか食べれない」とたとえたら「そのたとえはいまの気分に合わない」と返された。

 

どんな切り口なら面白いかな?と考えて、僕はこの推計と実際の人口の動き(とくに個別の要因)とを比較することを考えた。まーちゃん(妻)は他市町村と比較してみれば?あと、そもそもどんな推計してるかによらない?とのことだった。

 

次回に続く(ほんとか)

6/28 秋田県の地域区分①

仕事で秋田県の地域区分毎の人口推移をグラフ化することとなり、あらためて秋田県の地域区分ってどんなだっけ?と考える機会があった。

 

(※2017年6月28日現在の秋田県内の市町村は全部で25市町村である)

 

ネットで調べたところ、めぼしいものが2種類見つかった。

1つは、秋田県庁のホームページ「美の国あきたネット」より、秋田県庁地域振興局の担当地域ごとの区分であり、以下のようになる。

 

秋田県庁地域振興局の地域区分

鹿角地域(鹿角市小坂町
能代・山本地域(能代市藤里町三種町八峰町
由利地域(由利本荘市にかほ市
平鹿地域(横手市
北秋田地域(大館市北秋田市上小阿仁村
仙北地域(大仙市・仙北市・美郷町)
湯沢雄勝地域(湯沢市・羽後町・東成瀬村
秋田地域(秋田市五城目町八郎潟町大潟村男鹿市潟上市・井川町)

出典:秋田県

www.pref.akita.lg.jp

 

 

もう1つは、「秋田県 経済圏」で検索した時に見つけた、経済産業省による秋田県の経済圏分析の区分である。

 

経済産業省経済圏分析による区分

能代経済圏(能代市藤里町三種町八峰町
秋田経済圏(秋田市男鹿市潟上市五城目町八郎潟町、井川町)
由利本荘経済圏(由利本荘市にかほ市
大館経済圏(大館市
大仙経済圏(大仙市、仙北市、美郷町)
横手経済圏(横手市湯沢市、羽後町、東成瀬村

出典:経済産業省秋田県の地域経済分析」

http://www.meti.go.jp/policy/local_economy/bunnseki/47bunseki/05akita.pdf#search=%27%E7%A7%8B%E7%94%B0%E7%9C%8C+%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%9C%8F%27

 

これら2種類の地域区分の共通点・相違点を明確にするために表にしてみたのがこちら。

 

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Excelで作成した表を図として貼り付ける仕方がわからない・・・ぐぬぬ

 

これを見ると、①秋田県庁地域振興局区分における、「北秋田地域」「鹿角地域」に属する市町村が、経産省経済圏の区分では抜け落ちていること、②地域振興局区分における「湯沢雄勝地域」が経済圏区分の「横手経済圏」に含まれていることが特徴的である。

 

・なぜ北秋田地域・鹿角地域が抜け落ちてしまっているのか?(人口がいないからというだけの理由ではないことを祈る)

・行政区分と経済圏の違いは、秋田県を見る時にどんな発見をもたらしてくれるのか?

 

これらについて興味がわいたので、気力がある時に少しずつ調べ学習をしてみたい。

 

 

※ここにおける経済圏について、経済産業省は次のように説明している。

地域経済は、都道府県や市町村という行政単位にとらわれることなく、地域住民が通勤 ・買い物など生活を営む圏域、つまり、経済圏を形成し、経済活動を行っています。 

引用:経済産業省秋田県の地域経済分析」54頁

http://www.meti.go.jp/policy/local_economy/bunnseki/47bunseki/05akita.pdf#search=%27%E7%A7%8B%E7%94%B0%E7%9C%8C+%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%9C%8F%27

 

※全体についての説明はこち

地域経済分析(METI/経済産業省)